一人旅ネタ&散歩ネタを紹介|けさらんぱさらん|

●「清洲橋」の両岸を散策する


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1.玄冶店と深川とをつなぐ清洲橋

隅田川の西側にはかつて「玄冶店」と呼ばれた場所があります。

ところで、春日八郎さんという歌手をご存じでしょうか? 昭和30年代後半生まれのボクにとっては「父親世代の人気歌手」という感じの、背が高く渋いオジサンです。

彼の代表曲の一つに「お富さん」という曲があり、70年代後半には米国のファンクグループがダンスミュージック風にアレンジした「ディスコお富さん」という曲(♪)を歌いヒットしましたので、おそらくボクと同世代の人は一度は口ずさんだことがあるのでは。

しかしこの曲のサビの部分に出てくる「えっさおー、ゲンヤーダナー」の「ゲンヤーダナー」が「何を指す言葉なのか」わかっている人は少なかったのではないでしょうか? ボクにとって「ゲンヤダナー」は心の底にこびりついた小さな特異点のような存在でした。。

そして57歳になった最近、ついにこの「ゲンヤダナ」とは「玄冶店」と(正式には)標記され、現在の日本橋人形町近辺の江戸時代の呼び名だということを知ったのです。 しかもボクはかつて約10年間、この地に住んでいたにも関わらずです・・。

※楽曲「お富さん」では「ゲンヤダナ」は(下記に説明する歌舞伎の演目に合わせて)「源氏店」という表記で書かれています。

玄冶店という名前は、三代将軍「徳川家光」の病を治した岡本玄冶という医師が、その褒美にこの地を拝領され、そこに借家を建て庶民に貸し与えたことからついた名前のようです。

上右の写真は玄冶店に今も残る料亭「玄冶店 濱田家」です。いかにも敷居が高そうな雰囲気を醸し出す外壁でしょ♪ 

もともとこのあたりに「芳町(よしちょう)」と呼ばれた花街で、この「濱田家」は町芸者の置屋だったようです。

そして楽曲「お富さん」は、極道に身を落とした「切られ与三郎」と、大商人の妾となって玄冶店に囲われていた「お富」とが偶然に再開したという「歌舞伎の演目“与話情浮名横櫛”」を歌にしたものだとか。幼少からの疑問がやっと解けたというわけですww

※歌舞伎の「与話情浮名横櫛」では、「ゲンヤダナ」は「源氏店」という表記で書かれています。

隅田川の東側の「深川」も「巽芸者(辰巳芸者)」でおなじみの花街があった場所です。

もともと材木問屋など気風が良いお兄さんたちが生活していた場所なので、巽芸者とは「女だてらに羽織を着た、“意気”と“張り”とを看板にした男勝りの芸者」だったようです。

そして「松尾芭蕉」の「芭蕉庵」があった場所としても有名ですねぇ。「奥の細道」の出発点はこの地であり、有名な「古池や蛙飛び込む水の音」の「古池」もこの辺りにあったのだとか。

徒歩で東北を一周した芭蕉こそ、能因や西行、在原業平、そして(ボクの究極的なヒーローである)役行者と並び、ボクが憧れる「健脚アーティスト」の一人なのです!

隅田川の東側の川岸、新大橋‐清洲橋‐永代橋の間には芭蕉の読んだ句が刻まれた碑がたくさん建っていますので、東北一周は無理でも、この数キロを歩くことで「奥の細道している」雰囲気を味わうことができるってもんです。

最近ではこの辺りは、「ブルーボトルコーヒー」や、倉庫を改造した実験的店舗の出現により「オサレな街」の一つになっているようで、かなり面白い混沌さを醸し出していますよ。 2020.07.26

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2.東京で最も美しい橋

ほとんどの人は清洲橋は一目見るだけで「かっこいいー」と思うはずです! それもそのはず、当時(大正時代末)「世界最美の橋」と呼ばれていたドイツのケルン市にあったヒンデンブルク橋をモデルにした橋なのですから。

関東大震災の震災復興事業として、永代橋と共に計画された橋で、 「帝都東京の門」と呼称された永代橋に対比して、「震災復興の華」と呼ばれていたのだとか。

上の碑は「清洲橋が一番かっこよく見える場所」に設置されたもので、その場所は「ケルンの眺め」と呼ばれています。確かに斜めから橋を見れるこの場所は良い場所だと思いますが、それ以外にも「清洲橋がかっこよく見える場所」はたくさんあると思います。是非「皆さんにとってのケルンの眺め」を探してみてください♪

清洲橋は「自碇式鋼鉄製吊り橋」と呼ばれる構造らしく、詳しくはよくわかりませんがw、強度を上げ軽量化を実現させるために、当時の海軍で開発中の「低マンガン鋼」が使用されているのだとか。二つとも言葉の意味はよく解りませんが、かっこよさは満点です♪

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3.西側はレトロな洋食屋の街

昭和8年創業の洋食屋さん。ビーフシチューが売りです。人形町はデミグラス系料理のメッカですが、その中でも一番の人気店かも。

シャッターが下りている写真しかなくて残念ですが、大正8年創業の喫茶店「快生軒」と、やはりビーフシチューが売りの明治37年創業の「来福亭」。この地に住んでいた時にはどちらもよく行きました♪

明治45年創業の「小春軒」。以前はビーフシチューもあったような気がする。コロッケとかトンカツとかが人気のよう。

昭和21年創業の「キラク」。ポークソテーやカツが有名。あと絶品なのがマカロニサラダ! 大好きでほんとよく通ったけど、実はいろいろと曰くつき♪

しゃぶしゃぶ&すき焼きの頂点ともいえる「今半」。明治28年創業の高級店。自腹では行けないけど接待やらなんやらで意外とよく連れて行ってもらった♪

寛永十年(1760年!)創業の「玉ひで」。池波正太郎が愛した店としても有名。昼ご飯なら、ま、ボクらでも大丈夫な料金でふわとろの親子丼がいただける。

大正5年創業のタイ焼きや「柳屋」。店内はいつも何重にも折り返して人が並んでいる。白っぽい上品な焼き方で、確かに美味いな。

老舗ではないけれど、人形町には実に素晴らしい「小さなレストラン」がいくつかあります。そのうちの最高峰はここ。夜は予約必須。二組ぐらいしか入れないかな。

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4.人形町は裏路地も面白い

いいでしょ?こういう場所♪ 人形町には何本かこういう裏路地があります。

ボクはこの地に住んでいた2004年から2014年ぐらいのときには齢90歳を超えたご主人と齢70歳を超えた息子さん(♪)がやられていた床屋さん。内装が実にカッコイイ昔ながらの床屋さんでしたが、最近行った時には閉まったままだった。

人形町は「立ち食い蕎麦」のメッカでもある。ここは結構有名。値段も安い!

ある意味「観光地」なのに、肉屋や八百屋、魚屋などがあるのが人形町の魅力でもある。

良い感じの建物が要所要所に残っている!

まさに「昭和」! 昭和散好きにはたまらない街並み。

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5.東側は新世代お洒落の街

超有名な「ブルーボトルコーヒー」。ボク的には「酸味がちょい強すぎるかな」という気がしなくもないですが、そんなことを言っていると、女の子から嫌われます♪

ここも超有名なカフェなので名前は書きませんww 古いビルの一階をカフェにするっていうのが、現在のオサレの基本のようです。

ここはボクら理系オヤジにとっては最高の遊び場の一つ。実験用品をインテリアグッズとして販売しています♪

「リカシツ」の近くにあるカフェ。店では「冷却管」が販売されていて、冷却管でハーブのエキスを抽出するような講習会も開かれているようです。

北海道のチーズを販売しているお店。壁を北海道の地形にくりぬいてガラスを入れているところが、最高にオサレ♪

こういうオサレ系カフェが、実にいろいろな場所に作られているのが、清洲橋の東側で最近起きている事象。

深川江戸資料館の前で見つけたパン屋さん。2020年7月コロナショックの影響を受けて、間隔を1メートルぐらいあけての列が並んでいました。オサレでかつ行儀が良い街です。

ピザ屋ですが、深川エッセンス満載のお店です! 食べてはいないのですが、絶対に美味しいに決まっています♪

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6.巽芸者は今もいるのか

先に書いた「巽芸者(辰巳芸者)」ですが、現在は存在するのでしょうか?

いろいろと調べてみると、大横川に架かる「黒船橋」と「石島橋」を超えたあたりが巽芸者のメッカらしいということでしたので、さっそくそちらに行ってきました。

そのメッカ(があった場所)が上の写真の路地です。看板の向かって右から二番目の「金柳」という料亭が、当時の巽芸者が活躍したお店のようですねぇ♪

しかし、このお店以外はこの路地にはカラオケやら焼き鳥屋などが並び、どうみても「芸者が闊歩する街」には見えなかったですねぇ。

ボクとしては、羽織をはおった男勝りのお姉さんに、「写真なんか撮っていないで、男なら酒を飲め」と、叱られたかったのですが、どうも、そういう路地ではないようでした。

右の写真は「深川東京モダン館」で見つけた「ゆるきゃら的ななにか」です。

ここは実に素晴らしくて、一応、11時と14時に予約をすれば、深川を個別に案内してくれるとのことなのですが、結構、閑らしく、予約なんかなんもなくても、地元の人が散歩に同行してくれることもあります。(あまり大っぴらに言えないですが)

その施設の方にうかがっても、「巽芸者は最近はいないんじゃいの」ということでしたので、奇麗なお姉さんから怒られたいというボクの望みは、ここでは叶えることができないのかもしれません・・・。

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7.人形町でポークソテーを食べて帰る

ボクが清洲橋の西側に住んでいた頃(2004年から約10年の間)には、左の写真の「キラク」では、創業者の長女(と思われる方)が厨房を仕切り、二人の妹さんと末妹の旦那さん(と思われる方々)が店内を切り盛りしていました。

それが、ボクがこの地を離れる直前に、厨房を数人の男性が仕切り、真ん中の妹さんがそのサポートをするという形式に代わったのです。

あれ、どうしたんだろう? と思っていたら、地元の方から“長女と末妹およびその旦那さん(と思われる方々)が別の場所に店を出した”ということを聞きました。

最初は、二号店を出したのかな? と思ったのですが、どうもそうじゃないらしいのです。詳しくはあえて書きませんが、ネットにはいろいろなうわさが流れているようです・・・。

で、右がその「長女と末妹と旦那さんが出した店」で、キラクとくらべれば結構、静かな場所に移ったなぁという感じです。

最初は「キラクの創業者(つまりこの姉妹のお父さん)」のお名前を取って「そときち」と名乗っていて、看板などの店名の文字は、地元の人形師「ジュサブロー」さんが書いたものでした。

ところが先日行った時には写真のように店名が「そよいち」と変わっていたのです。

これはなにかあったな? と勘繰り、いろいろとネットを調べてみたのですが、確かにいろいろとあったようですねぇ・・・。

ま、ゴシップネタは書きたくないので省きますが、ボクが感じたのは「人生、いろいろあるんだなぁ」ってことと、「仕事の腕さえあれば、困難は乗り越えられるんだなぁ」ということですかねぇ。

事情を理解してくれたジュサブローさんは、新しく「そよいち」の文字も書いてくれたようですね、かっこよく素敵な文字ですよ!

とにかく、「そよいち」のポークソテー、そして前述したマカロニサラダも絶品でした。そして嬉しいことに米も美味い。

ボクがこの地に住んでいたころと変わらず、感激的なほど美味しかったです♪