【稲作が作った日本文化と日本社会】

古事記、日本書紀、万葉集、古今和歌集など我が国の古典を読めば「稲作が日本の社会の仕組みを作った」とか「稲作が日本の歴史を動かした」などについて理解できると思う。

米は『保存が効く』ため『通貨のような役割』を持たせることが可能だ。 更に米には「それ自体にほぼ全ての栄養分がある」ため「米さえあれば、まあなんとななる」という強みもある。

しかし『稲作』には『大規模な共同作業』が必要であるため『集団社会の構築』が促進されていくこといなる。 更に『稲作」は『季節や天候』と強い関係性を持っているので、『日本人の季節に対する感性』が促進されたり『天候や天災を制御しようとする宗教』を誕生させることにもなりわけだ。

現在の日本と日本人の肉体と精神を作り出した『稲作』なのだが、それによって『失くしてしまったもの』も多々あるのも事実だと思うのだ。

【稲作で日本人が失くしてしまったモノ】

失ったモノの第一は『漂う喜び』だ。 稲作は当然『定住』を伴うので、日本人は稲作の導入と同時に『あちこちをブラブラする』という喜びを捨てることになってしまった。

第二は『身軽である喜び』の喪失だ。 稲作により「田んぼを守る」「収穫された米を守る」必要がでてきたので、「物や土地などを守るための労力」が飛躍的に増えたはずだ。

第三は『気ままな人生』の喪失だ。 稲作は『ルーティンワーク』だから、毎年同じ時期に同じことをやり続けることが必要になってくる。日本人は稲作によって『気ままな人生』を捨ててしまったのだ。

つまり日本人は『稲作を行う』という『進化』を遂げることで、『好奇心のまま自由に生きる喜び』を捨ててしまったと言えるだろう。

乱暴に言えば「日本文化は『好奇心のままに自由に生きる』ことを捨てて『進化』してきた」となるだろう。

ところで『稲作前の日本の社会』ってどんなものだったのだろう? もしかしたらそこに『好奇心のまま自由に生きるヒント』があるのかもしれない。

稲作の法則: 日本人が『自由』を獲得するためには、『稲作以前の日本の文化』を学ぶ必要がある。