【セニフとフールスの法則】

「セニフ」というものがある。いや、実際はそんなものは無いのだが、ボクは小学1年生ぐらいまでは「セニフ」というものの存在を信じていたのだ。

幼少のころに『ジャイアントロボ』というテレビ番組が流行っていた。最近ではアニメ化もされているようだが、当時のそれは特撮実写だった。そのテーマソングの中に『セニフ』が出てくるのだ。

いや、正確には出てこないのですが、当時のボクにはそう聞こえたのだ。

本当は「輝く太陽、背に受けて」というフレーズなのだが、譜割り的に「せにうーぅけーてー」と歌っているため、それを「セニフー受けーて」と勘違いしていたのというわけだ。

もちろん当時のボクにも『セニフ』という言葉の意味は解らなかったが、それは『受けるもの』であると解釈していたし、作品に登場する『ユニコーン』という組織に属する『悪と戦う使命を帯びた隊員たち』のイメージから、『セニフ』というのはそういう『重要な使命』のようなものだと、漠然と考えていた。

そしてまだおねしょも治らないガキンチョ時代のボクは「大人になったらボクもセニフを受けて世の中の役に立つんだ」的なことを考えていたものだ。

同じようなものとして『フールス』という存在がある。これは動揺『七つの子』のフレーズにある「山のフールスへ来て見てごらん」のあの『フールス』のことです。もちろん正しくは「山の古巣へ来て見てごらん」なのだが、ガキンチョのころは、山の中には『フールス』という場所があるのだと信じていたのだ。

そして、ある程度の年齢になると『フールス』というのは『fools』のことだと気がつくことになる。『fool(愚か者)』の複数形、つまり『愚か者たち』のことだ。

つまり「山には愚か者の集団が住んでいる場所がある」ということに気がついたのだ。 そして彼らは「丸い目をしたいい子」だったのだ。

そのときのボクの『フールス』のイメージは、水玉模様の三角帽子をかぶり、同じ水玉模様の、袖と裾がラッパ状に広がった服を着ていた。もちろん靴の先はとんがって上のほうにちょっと曲がっているのは言うまでもない。

彼らはいつも楽しそうに歌いながら踊っているのですが、よく観ると目が笑っていない。そう、とても気味の悪い集団だったのだ。

さすがに今では『セニフ』も『フールス』もそういうことではないと知っている。 あたりまえだ。しかし、いまだに「責任ある重要な使命を受ける」ことを脳内で「セニフを受ける」と自動的に翻訳してしまうし、山登りをすると「どこかに愚か者たちの里があり、そこに迷い込んでしまうのでは」という恐怖に襲われたりもする。

いつかどこかで、ボクと同じようなことを考えている人と会って、このことについて話をしてみたい気がする。いや、やっぱりいいや。

セニフとフールスの法則: 子供の頃の勘違いは大人になってからの精神構造にも影響を残す。