【回転寿司の法則】

ボクは回転寿司が大好きだ。そう言うと、お寿司が好きなんですか? と聞き返されることがあるが、そうじゃない。回転寿司が好きなのだ。特に珍しい地魚を出す、漁港近くの回転寿司が最高に好きなのだよ。

じゃあ、回転していない寿司はどうなのかと聞かれれば、ほとんど食べたことが無いけど、と前置きをした上で「うーん、まあそこそこに」と答える感じですかねぇ。

そう、回転している寿司が好きなのだ。まず、魚の名前が書かれたプラカードが乗った皿が流れてきて「むむむ、はじめて聞く魚の名前だぞ」とワクワクしながらその寿司の皿が回ってくるのを一瞬待つ、その感覚がたまらないのだ。

躊躇して取りそびれると、更に一周して回ってくるのを待たなければならなくなってしまうし、一周する間に誰かに取られてしまうかもしれない。幸運と回転寿司には後ろ髪は無いとはよく言ったものなのだ。

取り逃しても、お店の人にオーダーすれば良いじゃないか、そう言う人もいるだろうけど、やはり、ボクは一期一会を大事にしたい。はじめて聞く名前の魚を“出会いがしらに”捕らえて食す、この醍醐味を大事にしたいのだ。

だから寿司を食べている間でも決して気を抜かず、流れてくる皿から目を離したりはしない。一人前の回転寿司通ともなれば、それは当たり前のこと。

コレだ!と思い、手を伸ばした寿司があまり美味くなかったときの失望感。躊躇していたために目の前を通り過ぎてしまったときの挫折感。意を決して手を伸ばした寿司が最高に美味しかったときの達成感。そう、回転寿司では人生の機微さえ味わうことができるのだ。

こんなことがあった。ある小春日和の日曜日、内房の回転寿司屋を訪れたときのことだ。カウンターに座り、オシボリで手を拭き小皿に醤油をたらし、準備は万端。そのとき目の前にサヨリが流れてきたのだ。春を代表するサヨリはボクの大好物、すぐさま手を伸ばそうとしたのだが、そのとなりに、マンボウと書かれたプラカードの乗った皿があるではないか! これは珍しい。ボクは好奇心にかられサヨリではなくマンボウの皿を取った。

しかし、そのマンボウ、冷凍もので(しかも解凍が上手ではなかった)若干凍っていて水っぽいじゃないか。ガッカリだよ。だったら、サヨリを食べれば良かったなぁと、ベルトコンベアに目を移すが、もうサヨリは遥か彼方へと行ってしまっていた。別のヤツが回ってくるだろうと思って待っていてもなかなか回ってこないのだ。

しかし、なぜかショートケーキの皿は大量に回ってくる。休日の家族連れを意識してのことなのだろうが、回転寿司屋でショートケーキを食べたがるような子供はろくな大人にならないに決まっている。なんてことを考えながら、サヨリが回ってくるのをじっと待っていた。今度サヨリが来たら二度と躊躇することなく皿を取ろう、そう決意してじっと待っていたのだ。

そしてついにサヨリが回ってきた! 今度こそはと、迷わず皿に手を伸ばそうとする。すると、となりにヒャクヒロと書かれたプラカードの皿があるではないか。 それにはヒャクヒロとはマンボウの腸のことで、マンボウの腸の長さはとても長いため百尋(ヒャクヒロ;尋とは長さの単位=約1.8メートル)と呼ばれているとかいうウンチクまで書かれていた。そういうウンチクには凄く弱い。またしても悪魔の囁き、しかも、またマンボウだ。

一瞬躊躇するも、好奇心に負けてボクはヒャクヒロの皿を取ってしまった。

しかしまたしても半解凍状態のシャリシャリしたヤツ。こんなことならサヨリを選んでおけばよかったと後悔するも、当然のことながらサヨリの皿はもう遥か彼方。

ボクの人生はいつもそうだ。目新しいものに心を奪われ、本当に大切なものを失ってしまう。そんなことの繰り返しだった。ため息をつきながらも「やはり回転寿司には人生が凝縮されているなぁ」と天を仰いでおりました。

回転寿司の法則: 常に「一番大切なのは何か」を意識して行動すべし。