【黒木メイサの法則】

30倍のライト付き携帯顕微鏡を買った。顕微鏡と言っても拡大鏡に毛が生えた程度の、ま、オモチャみたいなものなのだが、これが結構面白いのだ。

ボクはバルコニーで野菜やハーブなどを栽培しているため、部屋の中によく蜂が入ってくるので、こいつらに丸めた雑誌をぶちかまし息の根を止めてから覗き込んでみたのだ。

昆虫、彼等こそまさにエイリアンだ。 機能性に徹した体躯、感情を微塵も感じさせない目や牙を見ていると、我々と同じ遺伝子を持った生物だとは思えない。

昆虫は姿かたちが機能性に徹しているだけでなく、社会構成も機能性だけでできているようだ。このことは『蟻の自然誌』に詳しいので(この本はもうこれ以上望めないというくらいの名著だ)、興味ある人は是非読んでみて欲しいのだが、彼らの“機能性に徹した社会の冷酷さ”には心から身震いする。

遺伝子理論だと「どうすれば遺伝子にとって都合がいいか」という基準で生物は行動しているとのことだが、そういう意味では昆虫の冷酷な機能性重視の社会は『遺伝子のみが支配している社会』と言えるのかもしれない。

ところで、我々の社会は昆虫社会ほど遺伝子の影響力は多くないと思われがちだが、「自己を犠牲にして社会のために尽くしている」ような行為が「実は遺伝子にとって都合が良い行為」だったりする場合もあるようだ。

Rドーキンスによれば「親や兄弟を守るために自己を犠牲にすることが、最終的に自分と同じ遺伝子にとって有益になる場合、人はそうする」のだとか。興味がある人は『利己的な遺伝子』を読んでみて下さい。

そんなことを考えていたら、先日観たキムタク主演のヤマトのラストシーンを思い出してしまった。

地球を守るために自らの命を捨てて敵に体当たりしたキムタク演じる古代進。ボクが彼の立場だったら、果たして同じ行動をとっただろうか。うーむ、自分でも解らないなぁ。

だってそもそも、黒木メイサがボクに惚れてくれるかどうかさえ解らないし。だいたいああいう映画のズルイところは悲劇のヒーローの周りに必ずいいオンナがいるってことだ。

黒木メイサから「死なないで」とか言われれば「うるさい、これがオトコの生き方だ」って、当然ボクだって言ってやるよ。おお、言ってやるとも、おお、死んでやるとも。

要はそういうことなのだ。つまり同じ操られるのなら、遺伝子なんかじゃなく、黒木メイサに操られたいということなのだ。

顕微鏡の話しも遺伝子の話もどっかに行ってしまったが、要はそういうことなのだ。

黒木メイサの法則: 人間の自己犠牲は必ずしも『遺伝子が起因』しているわけではなく、その影に美女の存在がある場合が多い。