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【日本の個人主義と共同体意識の法則】

昭和の日本の共同体意識の変化

昭和30年代後半に生まれたワタシにとって、幼少時代には『三丁目の夕日』のような『共同体意識』が まだ実際に近所に蔓延していた。いまでは『古きよき時代』とも呼ばれているが、 それは現在のメディアがそう語っているからであり、当時は結構ウザイと感じていた人が多かったと思う。

その後、テレビが普及し、一家に一台テレビがあるのが当たり前の世の中になると、 これまであった『近所に住む人たちとの n対n の関係性を基盤にした共同体意識』が 『放送局と各個人の 1対n の関係によって同一情報を得ているという共同体意識』へと変わってきたのではないか。

つまり『自立による個人化』ではなく「精神的な依存相手が近所の人からテレビから発信される情報に変わった」だけだ。

昭和50年代半ばごろには『個の時代』とか『個性』という言葉が流行り、 『若者のニヒリズム』みたいなことが懸念されてきたが、 これも狭義の『個人主義』などではなく、 上記に書いたように「依存先のウエイトがメディアから発信された情報に偏ってきたので、人間同士の直接的な関りが希薄になった」と いうだけだ。

つまり『個の確立』ではなく、「メディアへの依存がますます大きくなり、ますます個が脆弱になってきた」のだ。 その結果、コミュニケーション能力が格段に低い人類が誕生してきた。

更にウザクなった日本の共同体意識

それが昭和から平成にかけて、一部の人たちを皮切りに『パソコン通信』などによる n対n の共同体が再び スタートしはじめる。そして携帯電話そして昨今のLINEの台頭。 再び『ウザイ共同体』が構築されたのだ。

知り合いからのメールやLINEが来たら直ぐにそれに返信しないと仲間はずれになる、 という目に見えないルールに縛られた『新時代の共同体意識』の誕生だ。 これは昭和初期までの『共同体』より、さらにウザイものになっている。

なぜなら、先に述べた『見せかけだけの個の時代』を経過することで、コミュニケーション能力があきらかに低い人間が増えてきているにも関わらず、 ベタベタの共同体ルールを押し付けられているのだから。

しかも『共同体への依存度』そのものが、昭和初期までと比較してもものすごく強くなってきているように思える。

最近の20代の人たちは恐ろしいぐらい『共同体意識』が強く、 「空気を読む」ということに命をかけている。 それが出来ないと彼らの社会の中では生きていけないのだから当然だ。 恐らく小中高校生はもっと厳しい共同体の中で生きているのだろう。ボクのような『スナフキン体質』の人間には とても耐えられない世界を彼らは生きている。

ボクとしては、ネットワーク技術の発展が『個人を核とした、自由度が高く、小規模でかつ緩やかな繋がりの集合体から成り立つ社会』を 構築してくれる、と考えていた。

ま、ボクの周りだけでも、そのような社会を構築していきたいなぁ。

日本の個人主義と共同体意識の法則: 自分の周りだけでも『個人を核とした、自由度が高く、小規模でかつ緩やかな繋がりの集合体から成り立つ社会』を構築していきたい。そのためには 『ウザイ共同体意識を振り回す人間』とは近づきたくない。