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★衝動的に忍者屋敷に行ってみた。

ボクは幼少の頃、忍者にものすごく憧れていましたが、当時から 「自由に生きる」 ことがモットーだったボクが憧れていたのは、どこかの大名に雇われている忍者なんかではありません。

じゃあ、どんな忍者に憧れていたのかと言うと、 自分の興味本位 で詮索する相手を選び、その人物の家の天井裏に潜んで 様子をうかがい、見つかったときには 秘密の道具を使って逃げる、というような忍者だったのです。

果たしてそれを忍者と呼べるのかどうかは、今となっては疑問が残るところですが、先日なぜかそんな幼少の頃を思い出し、居ても立ってもいられなくなってしまったのです。

で、速攻で宿を取り、有給を申請して、甲賀と伊賀への二泊三日のドライブを決行してきたのですが、そこで知ったことをザックリと書きたいと思います。



〜「伊賀忍者」と「甲賀忍者」とではかなり違う!〜

実際に違っていたのか、たまたま現在の「伊賀忍者屋敷」と「甲賀忍者屋敷」における紹介ではそうなっているだけだったのかは良く判らないのですが、その違いをザックリ列挙してみたいと思います。


伊賀流ミズグモ


伊賀の「ミズグモ」は「履く」タイプ

「ミズグモ」とは水上を移動するための忍者道具です。伊賀の「ミズグモ」は左右の草履の周りに折りたたみ式の浮き輪のような板が付いた形状で、大きさも片方の直径が4〜50cmといったところ。これを「履いて」ミズスマシのように水上を歩くのが伊賀流のようです。

浮力とは水中に存在する物体が押しのけた水の質量と、その物体の(水中にある部分の)質量の差から生じるわけですが、 いくら当時の忍者が小型であろうと4〜50sはあったでしょうから、このタイプの「ミズグモ」を「履いて」水上を歩く際には、「浮力以外の何か未知の力」が必要になってきます。

どうも、伊賀忍者には何か特別な能力があったようです。

甲賀のは「跨ぐ」タイプ

甲賀の「ミズグモ」は直径が1m程度の浮き輪タイプで、真ん中に腰を下ろす部分が付いていて、両足をその部分の両側から通して装着する形式です。

これを装着して水中に入ると、ぎりぎり頭が水面上に出るぐらいで浮かぶとのこと。これは初等物理学的にもつじつまが合うので、伊賀忍者のような特殊能力が無くても「水中」を進むことが出来そうです。

尚、甲賀忍者はこの「ミズグモ」を使う際に、水かきとして使用できる「一本歯のゲタ」状のモノを履きます。この「歯」は前方には曲がらず後方のみに曲がるので、これを履いて足を前後に動かすと、自然と前に進むという優れものなのですよ。

※上記のことは甲賀忍者屋敷の方に伺ったのですが、別の甲賀忍者のサイトなどには、直径1mぐらいのミズグモを両足に「履いて」水面を歩いている写真などもあり、実際の「甲賀流ミズグモ」の使用方法に関しては疑問点も残ります。

甲賀流ミズグモ


伊賀流「どんでん返し」の仕組み



伊賀の「どんでん返し」は中心回転

壁の一部がグルリと回転して、壁の奥に作られた隠し部屋へ入れるというのが「どんでん返し」です。伊賀の「どんでん返し」は回転する壁の「中央部」に「回転軸」が作られています。

そのため、一度「どんでん返し」を使って隠し部屋に入ると、回転する壁が慣性力でグルグルと回り続けることになるわけです。

これだと仮に伊賀忍者が「どんでん返し」を使って隠し部屋に逃げ込んだとしても、逃げ込んだ際に回転する扉を押さえないと、敵がグルグル回っている扉を見つけて、「あ、あそこに逃げたな」と判ってしまうわけです。

伊賀忍者には回転する扉を静かに押さえるという「几帳面さ」を要求されるわけです。



甲賀のは非中心回転(落とし穴付き)

甲賀の「どんでん返し」の回転軸は中心から片方に少しずれています。そして固定された壁の方にも少し仕掛けがあり、最初回転扉は片方向にしか回りません。

敵に追われた甲賀忍者はまず回転扉の右側を押して隠し扉に入ります。すると回転扉は180°回転し、そこで止まるわけです。

それを見た敵は、自分も「壁の右側」を押して中に入ろうとするのですが、当然、もうこれ以上は回転しません。そしてそのことで敵を「動揺させる」のだそうです。

その隙に甲賀忍者は回転扉のすぐ内側の床をスライドさせて、落とし穴を空けます。甲賀忍者屋敷で実際に見たのですが、この落とし穴がかなり深いですよ!(3mぐらい)しかも底に行くほど広がっていく形状なので、落ちたら二度と出て来れない感じです!(メチャ怖かった)

そんな落とし穴があるとは知らない敵は、ようやく「今度は壁の左側を押すと壁が回る」ということに気がつき、 そして焦って左側を押し、回った壁の間から勢い良く中に飛び込むのです。当然、そこには恐ろしい落とし穴が待っているというわけ。動揺させ焦らせてからの落とし穴なので、ほとんどの敵は落とし穴に落ちてしまうのです。

甲賀の「どんでん返し」は、構造的にも人手間かけてあり、更に、心理的な作用も考慮した「罠」として仕上げられていたのでした!

甲賀流「どんでん返し」の仕組み

最初はこんな状態



一度回転した後はこんな状態



〜それ以外にも見て聞いて知った「伊賀忍者と甲賀忍者との違い」を羅列してみます〜

伊賀では猿飛佐助は伊賀忍者

伊賀では 「猿飛佐助は伊賀忍者“下柘植ノ木猿”がモデルになっている」 と言われていました。

この「下柘植ノ木猿」という人は実在人物だったようで、 更に「下柘植」というのは三重県伊賀市にある土地の名で、 名阪国道に「下柘植IC」もあるぐらい、 伊賀では普通に知られている場所です。 伊賀における「猿飛佐助の地元意識」は結構浸透しているようでした。

ボクが幼少の頃に買ってもらった忍者の本にも 「猿飛佐助のモデルは下柘植の木猿だ」と書いてあったので、 当時の小学生にはこれは常識 でしたねぇ。

甲賀では当然、甲賀忍者

ご存知の通り、猿飛佐助は「真田十勇士」の登場人物であり、 その中で「甲賀忍者」として紹介されているので、 当然のことながら、甲賀では 「猿飛佐助は甲賀忍者」 として紹介されています。

真田十勇士において伊賀忍者は「霧隠才蔵」であり、 佐助と才蔵のライバル関係がこの物語の「見せ場」でもあるので、 当然佐助は甲賀忍者でなくてはなりません。

この「伊賀と甲賀における猿飛佐助論争」については、 今後も注目していきたいです♪

伊賀忍者は階層社会

伊賀忍者の社会は「上忍」「中忍」「下忍」という階級社会だったようです。

彼らの支配階級である「上忍」には、有名な「服部」とか「百地」などがいて、 前述した真田十勇士の霧隠才蔵は百地三太夫の弟子ということになっています。

甲賀忍者は合議制

甲賀は「惣」と呼ばれる組織の集合体からなり、 完全合議制で物事を決定していたようです。

一説には「日本最古の民主主義が甲賀にはあった」 とい言われています。

伊賀忍者は武士階級に

伊賀忍者の長である服部半蔵が徳川家康に仕えていたことから、 家康が天下を取ることで伊賀忍者も武士として江戸幕府に組み込まれて いきました。

甲賀忍者は武士にはなれなかった

甲賀忍者は江戸幕府に関して、再三にわたり「武士にしてくれよん」と 嘆願したらしいのですが結局叶えられず、 それでも志だけは武士なんだぁと、 自らを「甲賀古士」と呼んでいたようです。





東京は一つじゃない

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先代のゴン太君に再会した
「けさらんぱさらん」は「理系おやじ」のための「不思議発見」サイトです。ビワの木に生息する謎の生き物「ケサランパサラン」についての研究論文(笑)も掲載されています。