上の写真がその鳥居です。よく見てください、足が三本あるでしょ!
この鳥居は京都にある「蚕ノ社神社(かいこのやしろじんじゃ)」の奥の方にあるのですが、この神社は、なんと推古天皇の時代(604年)に、広隆寺創建に伴い設立されたという、歴史ある神社なのです。
蚕ノ社神社がある地域(映画で有名な太秦(うずまさ)地域)は、もともと「渡来系氏族の秦氏」が開拓した場所だと言われています。
歴史の教科書にもでてきますが、秦氏は『養蚕業』を持ち込んだ一族で、この蚕ノ社神社もその名前の通り『養蚕業』と深く関わりがある神社のようですねぇ。
じゃあ、「養蚕業」と「三本柱の神社」とはどんな関係があるのか? そしてタイトルに書いたように、なぜ「神々との交流マシン」なんてトンデモない単語をボクは使ったのか?
これらについてボクなりの持論を書いてみたいと思います♪
上から見ると『三角形』の頂点からそれぞれ垂直に柱が出ているのがわかりますよね。
蚕ノ社神社の祭神は天之御中主神、大国魂神、 穂々出見命、鵜茅葺不合命、瓊々杵尊 となっています。
境内にあった提灯の図柄。『桑』よりは『ケシ』っぽい。日本古代の大麻文化と関係あるのか?
当時の日本人からすると養蚕業そのものが『神事』だったのでしょうね。だって、気持ち悪いイモムシから「光り輝く布」ができちゃうんですよ! 絹布を初めて見た人は、その美しさに神々の知恵を見たに違いないのです。
ちょっと目線を変えて、この神社にあった提灯(上の写真)を見てください。ここに描かれた絵は、蚕と関係のある「桑」というよりは「ケシ」のようにも見えませんか?
グーグルで「桑」と「ケシ」をそれぞれ検索して、その画像を見ていただくと、ボクの言ったことを理解してもらえると思いますよ。
もしこれが「ケシ」だとすると、「大麻」を連想するのは容易いですよね。日本では一般的ではありませんが、アジアや中南米の国々では古代、大麻を使うことで精神を覚醒させ、神々と交信するということが割とよく行われていたようですので、「古代の神事」と「大麻」との関係性も高いのだと思います。
ここまでで「養蚕業」→「神事」→「大麻」という図式を無理やり(w)作ってきたのですが、これが「三本柱の鳥居」とどう繋がるのでしょうか?
その答えは「三本柱の鳥居」の「形状」にあると思うのです!
境内にある洞窟のような場所。『蚕が生息する場所』を模っているのか? それとも、神からの信託を受ける場所なのか?
秦氏がはたして(シャレ)「大麻を神事に使っていたか」は判りませんが、「神聖なる絹布を作るための神への祈りのために」、もしくは「絹布をより神聖なものに見せて、自分たちを神秘的に見せるために」、大麻を使った儀式を行っていたと仮定してみます。
そのうえで「神との交流」をよりリアルに「体現する」ために、この「三本柱の鳥居」の中央に座り、天を仰ぐようにして瞑想しているという姿を想像してください。
三本柱の鳥居の中央に入り天を見上げると、空が三角形に切り取られて見え、かなり神秘的なイメージを作りやすいのかなぁ、なんて思うわけです。
この辺りをまとめると、
1.秦氏は、大麻で意識を覚醒させ、三本柱の鳥居を使って天上界と交信し神託を得ていた。もしくは、そのように民衆に思わせていた。
2.秦氏は、三本柱の鳥居を「養蚕」という「神がかり的な事業」のシンボルとしていた。
3.このシンボルである「三本柱の鳥居」を用いて、『絹を作る技術』も「天上界からの贈り物だ」と民衆に伝え、この信仰を通じてこの地を治めようとした。
そんな風には考えられませんでしょうか? ま、これらは夜の京都でしこたま呑んでいた時に閃いたことなので、なんの歴史的裏付けもありませんけどね♪
神社の直ぐ近くを走る路面電車『嵐電』。京都の街並に合う実に良い色しています。
神社の名前をそのまま駅名に付けていることからも、地元密着度合いが解ります。