伊豆の修善寺から土肥方面に少し行ったところにこの「伊豆 極楽苑」があります。
ここでは、この施設のご主人が自ら制作した 地獄や極楽を表現した超迫力あるジオラマが展示され、 奥様自らの「地獄についての講釈」を聞くことができるのですよ! こういうアットホームな感じが、 とても伊豆っぽく良いですねぇ。 展示物は恒常的なものなのですが、年に一度は行ってみたくなる不思議な魅力を持った施設なのです。
悪いことをすると地獄行きだぞ!
どうやら「この世」と「あの世」には キチンとしたヒエラルキーがあるようです♪ 大乗仏教には「六道輪廻」の考え方があり、人は生前の行いにより死後に「六つのいずれかの世界」に生まれ変わるらしく、その最下層に「地獄」があるのだとか。 その「地獄」にも、そのエグさによって8つの階層があり、それを「八大地獄」と 呼ぶのだそうです。
「八大地獄」の考え方だと、 例えば「殺生をした者は『等活地獄』へ落ちて、全身を切り刻まれ殺され、 生き返りまた再び切り刻まれる、ということを繰り返される」とか、 「邪淫な 行いをした者は『衆合地獄』へ落ちて、鉄の巨象に圧殺され、生き返りまた再び圧殺されることを 繰り返される」 など、現世での悪行によって落ちる地獄が決まるとのこと。
良いことをすれば天上界へ行けます!
ブッダが開いた「初期の頃の仏教」では、「死後の世界のこと なんて考えたって判らないのだから、そんなことを考えずに現世で修行して涅槃(苦しみの無い状態という意味かな?)を目指せ」と いう意味合いのことが書かれていますので(参考:岩波文庫「ブッダのことば」)、 これらの「この世やあの世を階層的に描く思想」のは 仏教が大乗仏教になってからなのでしょう。
おそらく「仏教がインド広域や中国を経て広まるにつれ、支配者階級による『人民支配』に利用されるようになりヒエラルキー思想が組み込まれた」のだと思われますが、「理系おやじ」であるボクとしては、このような「階層化された地獄・極楽思想」にグッとくる のも事実ですねぇ。
宗教戦争が悲惨になる理由のひとつに、イスラム教などの「ジハード」、つまり「聖戦で死ぬと死後の世界で極楽に行ける」という、「宗教的に良いと思われる行いをすれば極楽にける」という考え方があるためだと言われています。
しかし仏教における「地獄の捉え方」は、「道徳的に悪い行いをすれば地獄に行くぞ」という考え方です。これらは正反対の結果をもたらすと思うのですよ。
特に、初期仏教のような「死後の世界の幸福のためでなく、現世での苦悩を捨てるために修行をする」という考え方ならば、なおさら宗教戦争は起きないんじゃないかなぁ、なんて調子こいたことを言ってみたりして♪
地獄で芽生える愛もあるのか♪
それはそうと「衆合地獄」に行くと言われている「邪淫な行い」ですが、「邪淫」なんて言葉、日常生活で使うことはまずないですよね。だけど改めて漢字を見るとジワジワと効いてくる感じがしませんか♪ これこそ人間の「業」そのものなのでしょうww
実は、この施設もそれを判っているらしく、この「極楽苑」のすぐ裏に「秘宝館」が併設されているのです。 このあたりの「隙の無さ」もこの施設の魅力のひとつなのです!
地獄で待ってるぜ!