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当時の人々の思想の源流であった陰陽五行説においては “水と金とは「相性」の関係” であり、それが理由からか、池や川の水の中には金属製品が沈んでいるという伝説は結構残されています。

そして、東京の憩いの場である石神井公園にある大きな池にも、黄金の鞍が眠っているとの伝説があるのです。



【水には金、陰陽五行説が生んだ伝説か】


時は、足利将軍の権力が衰え、各地で豪族たちが領地争いを行い始めた、室町中期の話です。 当時、多摩地域から埼玉南部、練馬区、北区、足立区一帯は、現在の石神井公園の南の高台に本拠地「石神井城」を築く、平安時代末期から続く平家の名族、豊島泰経により治められていました。

そこへ、扇谷上杉氏の家宰で河越(今の川越)・岩槻を治めていた太田道灌が進出し、1457年に江戸城を構築したのだから、泰経にとっては面白いはずはありません。

そんな時代背景のなか、武蔵守護(南関東一帯の統治者)である上杉顕定の家臣 長尾家内の家督争い(当主長尾忠景 vs 長尾景春)から派生した景春の謀反に豊島泰経も同調し、上杉家-太田道灌ラインに戦いを挑んだのだのが「長尾景春の乱」なのです。

最終的には、文明九年(1477年)、太田道灌と豊島泰経の両者は「江子田・沼袋の戦い」で雌雄を決することになります。しかし、専門とする武士団を有する太田道灌の兵力は、農閑期の農民を兵力とする豊島泰経の兵力を大きく上回り、石神井城を落とされた泰経は横浜方面に逃亡し、以後消息不明になってしまうのです。これが史実なのですが、地元の伝説ではチト違います♪

太田道灌軍に囲まれ石神井城に篭城していた豊島泰経は、もはやこれまでと覚悟を決め、キラビヤカな鎧兜をまとい家宝の黄金の鞍を付けた白馬に跨り、馬上で大見得を切った後、そのまま白馬ごと三宝寺池に飛び込み自らの命を絶ったのです。

そして泰経を追ってその娘、照姫も同じく三宝寺池に身を投げたのだとか。練馬区では毎年「照姫まつり」が行われています。

今も、この池には豊島泰経の金の鞍が沈んでいると言われ、明治時代には三宝寺池に沈んであろう黄金の鞍を引き上げようとした輩までいたらしいですねぇ。

参考サイト: 石神井公園(公園へ行こう)
Shakujii Park



夜中に音をたてる水鉢

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新田神社の吼える狛犬
「けさらんぱさらん」は「理系おやじ」のための「不思議発見」サイトです。ビワの木に生息する謎の生き物「ケサランパサラン」についての研究論文(笑)も掲載されています。