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リスク回避マネジメント


小雨が降る寒い朝、私は自分のオフィスに向かって、ため息をつきながらふらふらと歩いていた。胃がきりきりと痛い。常に胸が圧迫されているように苦しい。足に力が入らない。ああ、もしかしたら心身症というやつなのだろうか。そのとき後ろから私の肩を叩き、声をかけてきた男がいた。

「この先の大通りに出るのは、控えたほうが良いですよ」

振り返ると私よりかなり背の高い男が立っていた。年齢は私とほぼ同じぐらいだろうか。

どういうことですか、という私の問いかけに、あと30秒ほどで判りますよ、たぶん大事故が起きるはずだから、と答えるその男。

「大事故だって?」

私がそう言った瞬間、ブオーという大型車のクラクションが鳴り響き、キーという急ブレーキの音が幾重に鳴り響き、続けてドカーンという轟音。

「さ、危ないからもっと離れましょう」

背の高い男は私の腕を引っぱると大通りとは逆のほうに小走りに路地を戻った。私は訳が判らずその男に腕を引かれるまま数十メートル来た道を戻る。背後からは鳴り響くクラクションの音に混じり、阿鼻叫喚 の声がこだましていた。

「ここまでくれば大丈夫でしょう。じゃあ、お気をつけて」

背の高い男は私の腕を放し、立ち去ろうとした。私は直ぐに彼を呼び止めた。

「どうして、あんな事故があるってわかったのですか」

私は追いすがるようにその背の高い男に声をかけた。私たちはそんな感じで出会ったのだった。

「あの日から、今日で丁度5年経ったわけだ」

私は社長室の自分の椅子にもたれかかり思い出にふけっていた。あの日に彼と出合ったことがきっかけで、私は我社の株の10パーセントも彼に与えることになったのだ。

彼の名前はNといった。N氏には特殊な才能があった。いや、彼に言わせるとそれは全ての人間が共通に持っている能力だということなので、常人にはその能力を引き出す術がなかったというべきだろうか。

N氏はとにかく耳かきが好きな男なのだ。小学校に上がる前から親に隠れてマッチ棒を耳につっこんでいたらしく、しょっちゅうマッチ棒が耳の中で折れては、怒られながら耳鼻科に連れて行かれたらしい。

小学校にあがるようになると、市販の耳かきを自分の耳の穴の形状に合わせてナイフを使って加工するのが唯一の趣味となり、そのうち、一から竹を削って耳かきをつくるようになった。彼の夏休みの工作は全て『手作りの耳かき』だった。

工業高校に進学してからは一時期、金属を加工して耳かきを作るのに凝っていた時期もあったが、やはり耳かきは竹に限る、と気づき、休暇の際には、日本中を回って耳かきに適した竹を探していたのだという。その後、20代で耳かき製造の会社を立ち上げ、マニアの間では結構有名な耳かきの製造販売を行っていた。そんな彼を無理やりくどき、我が社の株を受け取ってもらったのは、もちろん理由があってのことだ。

N氏は自分で作った耳かきで耳掃除をしている際に、耳の中に、通常の形状の耳かきでは決して届かない場所があることに気がついたのだ。彼はその場所をどうしても『かき』たくて、知り合いの医者に頼み込み自分の耳の形状をCTスキャンで撮影してもらい、耳の形状に合わせた特殊な形状の耳かきを制作した。

彼はその耳かきを匠に操り、今まで『かく』ことが出来なかったその箇所をかきまくってみた。すると、一瞬目が眩み、視野が真っ白い光に包まれてしまったのだ。恐らく耳の奥の方にある 特定の神経 を、その特殊形状の耳かきで刺激してしまったのだろう。

N氏はその場所を単に『スポット』と呼んだ。『スポット』に対する耳かきは、今まで味わったことがないような、全身がとろける様な快楽を伴うものだったらしい。真っ白い光は徐々に薄れ、それにともない具体的なイメージが見えてきて、ゆっくりと消えていくのだが、しばらくの間、口も利けないぐらいに気持ちが良いのだとか。

そして彼は、その真っ白い光の後に見えるイメージが、実は、近い未来に自分に降り注ぐ災難のシーン だということに気がつくようになったのだ。

恐らく『スポット』は、人間が本来持っていた 危険回避の本能 を呼び起こす『ツボ』みたいな場所だったのだろう。私と最初に出会ったときに、タンクローリーと大型トラックの正面衝突という大事故も、この『スポット』を耳かきすることによって予知していたのだ。

この話を最初に彼から聞いたとき、私は彼に、是非我社の行く末を占って欲しいと頼んだ。そのとき我社は経営的な大ピンチを迎えていたので、どうすれば良いのか、それこそワラをもすがる気持ちだったのだが、そのときの彼の返事は実にあっけないものであった。

「私の能力は私自身の危機を救うこと以外には役に立たないのです」

彼が言うように、『その能力』が本来人間が持っていた『自分に振るかかる災難を感知する能力』であるのなら、彼に言っていることも正しように思えた。しかし、私は諦めなかった。

「それなら私の会社の株を君にあげよう。そうすれば我社のピンチは君のピンチにもなるわけだから、君は我社のピンチを事前に感知することができるはずだろう」

N氏はその提案を受け、我社において私の次に株を所有する株主となった。私は社内に、小さいが彼の個室を与え、重要な案件は全て彼に相談した。彼は我社に降り注ぐ災難を見事前もって感知し、私はそれに従い会社の舵取りを行ってきたのだ。

おかげで大手取引先が破産する前に取引停止をしたり、我社が持っていた他社の株が暴落する前に売り切ったりと、今まで事なきを得ていたのである。

そういうわけで、昨今の不安定な経済動向の中にあっても、私の会社は比較的安泰であった。とてもつもなく良いことは無くても、悪いことはいつも上手く回避できたのだ。今の時代に合った、足場のしっかりとした経営だと言えるだろう。

「社長、そろそろ役員会議の時間です」

秘書がそう言いながら社長室に入ってきた。もうそんな時間か、今日の会議ででは大切な事業方針を決めなければならなかったのだ。

専務ラインからの提案も、常務ラインからの提案も特に目新しいものではないのだが、採用できるのはどちらかひとつだけだ。となるとどちらか一つは却下しなければならない。最近、専務派と常務派との派閥争いが顕著になってきており、どちらを却下するにせよ、問題は起きそうだった。

いったいどうするべきか、私はまだ悩んでいた。

「そうか、そういうときこそN氏に決めてもらえばいいのだ」

我ながらこれは良いアイデアであった。N氏は少なくとも我社の第二株主である。彼に決めてもらい彼の口から会議で発表しもらえばいい。そして、私自身は却下された方の派閥を慰めればいいのだ。私は君たちのプランが良いと思ったのだが、ここはN氏の顔を立ててあげようではないか、とか言えばいい。

私は秘書に、会議の前にN氏と直接話がしたいので彼を社長室へ呼ぶように伝えた。

少し経ち秘書が心配そうな顔で社長に入って来て言った、あの、Nさんはお部屋にいませんでした。そしてこんな手紙がありました。秘書は封書を渡した。そこにはN氏の文字で『社長へ』と書かれていた。私は封書を開け中の手紙を読んだ。

「先月、耳かきをしていたら鮮明な映像が見えてきました。どうやら会社は専務派と常務派との派閥争いのため、どうにもならない状況にきているようですね。 私自身もその派閥争いに巻き込まれてしまう映像が浮かんできましたよ。更に社長の脱税に関して当局が動き出し、それにも巻き込まれそうな映像もね。 そんなわけで、いただいた株は早々に売りに出し現金に換え、ほとぼりが冷めるまで身を隠すことにしました。お世話になりましたが、ま、それはお互い様ということで。では」

どうやらN氏は自分に降りかかりそうな危機を逃れることができたようだ。だが、私はどうなるというのだ?  


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