隅田川の橋を巡る

「千住大橋」の両岸を散策する。

1.宿場町と工場街とを結ぶ千住大橋

隅田川の北側はかつて「江戸四大宿」でもっとも賑わっていたとされる「千住宿」や、御用市場として栄えた千住青物市場(やっちゃ場)があった場所です。

宿場町跡には当時の建物が、やっちゃ場跡には木の看板が、それぞれいい感じで残っており、散歩ファンにはおなじみの場所になっています。

それに加え、昭和の匂いも確実に漂っている街で、商店街や飲み屋街はもちろん、ちょっと前まではあの有名な「キャバレーハリウッド」が営業していた街なのです!

隅田川の南側は、江戸時代から明治初期まで「小塚原刑場」のあった場所で、それにともなう「怪談話」が残る、その手の場所を散策する人にとっては大好きな場所でしょう♪

近代以降は隅田川を利用した工場地帯として栄えた場所で、左の写真は、官営工場として栄ええた千住製絨所のレンガ塀で、これまた散歩ファンには有名ですね。

これ以外に、千住火力発電所(のちに足立区に移転、おばけ煙突として有名)や、鐘紡など、戦前戦後の日本の産業を担った場所の一つと言えるでしょう。

そしてこの地は奥の細道の「矢立ての初め」でもあります。

なので、いくつもの松尾芭蕉の銅像や碑が建っているのですが、同一人物にも関わらず、その顔かたちがそれぞれ違っているのがまた良い感じですねぇ。

右の写真の芭蕉は、どことなく「六代目三遊亭円楽(元 楽太郎)」に似ていると感じたのはボクだけでしょうか?ww

言われてみれば「松尾芭蕉」ってどんな顔をしている人か、知らないですよね・・。

千住をウロチョロして松尾芭蕉の銅像を見比べてみるのもこの地を散歩する醍醐味ってもんです♪

2.高野槇(コウヤマキ)で作られていた不朽の橋

もちろん今の橋とは別物ですけど、最初に千住大橋が架橋されたのは、徳川家康が江戸に入府して間もない文禄3年(1594年)11月のことだそうで、なんと隅田川に最初に架かった橋なんだとか!

この橋を通って現在の国道4号線と国道6号線とが伸びていることを考えると、当時から交通の要だったのでしょう。

しかしこの場所に橋を架けるのは当時はとても大変だったようで、「架橋が大亀に邪魔された」とか、いや「大鯉に邪魔された」んだという話が残っており、当時の土木作業の苦労がしのばれます。

左の写真は千住大橋の北側の橋の下に架かる「千住小橋」で、これによって、千住大橋の東側と西側とが繋がっているわけです。

この場所には千住大橋の歴史が書かれた看板などが並んでいて、散歩ファンにとってはおなじみの場所かもしれません。

ところで、架橋当時の千住大橋には、陸中南部地方から運ばれた高野槇(コウヤマキ)で作れれていたとのことですが、この高野槇はとても水に強くて朽ちずらい材木とのことです。

しかもこれを寄進したのが、あの「独眼竜」こと伊達政宗らしいのです! なんか、すごく歴史を感じてしまいますねぇ。

明治期の洪水によって、この橋杭は流されてしまったらしいのですが、住民たちが槇の杭を拾い集め、火鉢にしたり、仏像に加工して守り神として祀るなど、「伝説のアイテム」として扱われていたようです。

この橋杭材から作ったアイテムは「荒川ふるさと文化館」に保存されています(写真右)

当時の古い川柳にも

「伽羅よりもまさる、千住の槇の杭」

と詠まれていたとのことですので、その「伝説感」いは感服いたします♪

3.北側の街並みを味わう

江戸時代から地漉き紙(再生紙)問屋を営んでおり、旅行者に人足を無賃で提供もしていた「横山家」の屋敷。

都内唯一の絵馬屋として、江戸中期頃から今も絵馬を描き続けている「吉田家」。

多分、新しい建物なのだろうけど、ちゃんと宿場町風に建てられているのが嬉しい。

建物自体もかっこいいけど、看板の文字が実にスバラシイ。

江戸自体から「接骨の名家」であった「名倉医院」。

名倉医院の蔵。年代物の家宝が眠っているに違いない!

やっちゃば跡近辺には実に良い味だしている木の看板がいくつも飾られている!

4.良い味出してる路地を北千住で発見

質屋の蔵を改造した、かなり有名なカフェ。

この路地は実にスバラシイ!

この先に、かつては伝説のキャバレー「ハリウッド」があったのです♪

5.南側の工場に心をときめかせる

各種コンプレッサー等を製造してる「東亜潜水機東亜潜水機」。壁に海のイメージのイラストが描かれています。

敷地内に太陽光発電らしきものが! 様々なポンプを製造している「おかもとポンプ」。

空調冷凍パーツの専門店「KAPAS」。名前がカッコイイ!

かってはちょっとした街には必ずあったミシン屋さん。ボクの家にも足ふみミシンが置かれていました。

調べてみたら「中山式腹巻」って、かなりの優れものらしい。医療機器メーカーの「中山式産業」。

このような工場が街の中にたくさんあり、理系オヤジとしてはワクワクしてくるのです♪ 写真は“職人の技と先進の技術”がウリの「千住抜型製作所

6.小塚原回向院と首切り地蔵は外せないなぁ

南千住といえばボクの同業者(w)にとっては「小塚原刑場」があった場所であることは常識中の常識。

鈴ヶ森(品川区)、大和田(八王子市)と並んで「三大刑場」と呼ばれたひとつで、江戸時代に「日本橋以北」で犯罪を犯した者が処刑された場所。

その跡地に立っているのが写真の「首切り地蔵」で、怪奇スポットとしても有名なので、よくおバカさんたちが妖怪探知機を持ってうろついている場所でもある♪

左は小塚原回向院の入り口に立っている「吉展地蔵尊」。ボクの少し前の世代の方にとっては生々しい記憶がある誘拐殺人事件の被害者を供養するために建立されたもの。

この事件を機に「刑法改正」や「報道協定実施」が行われるようになった、日本犯罪史上、本当に悲惨で最悪な事件だったのです。

ボクが子供の頃は誘拐事件というのが比較的多く、親からはよくこの事件の名前を出されて注意を促されていました。地蔵尊を見ていると胸が締め付けられる気持ちです。

右の写真は小塚原回向院の中にある著名人のお墓。向かって一番左は「鼠小僧次郎吉」のもの。実は「鼠小僧の墓」は、両国の回向院にもありますが、どのような経緯なのかは今度調べてみます♪

その右は順に、ゆすり・たかりの小悪党で歌舞伎の題材にもなった「片岡直次郎の墓」、日本で最後に斬首になった殺人犯の「高橋お伝の墓」、そして拳の形の墓石は、侠客で喧嘩で斬られブラブラになった腕を、“面倒だ”と子分に切り落とさせた「腕の喜三郎の墓」です。

その他にも「吉田松陰の墓」など幕末の志士たちの墓がたくさんあります。

そして最後に紹介するのが小塚原回向院の入り口近くに飾られた「解体新書の表紙のレリーフ」です。

解体新書は、オランダ語の医学書「ターヘル・アナトミア」(もとはドイツ語)を前野良沢、杉田玄白たちが翻訳したものですが、ボクはこの表紙のデザインから「解体新書は単なるターヘル・アナトミアの翻訳本ではなく、日本文化の本質が込められた本」であるという自説を持っています♪

7.これまで探索した隅田川の橋

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