一人旅ネタ&散歩ネタを紹介|けさらんぱさらん|

● 豊島泰経の黄金の鞍が眠る三宝寺池


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1.壮絶を極めた豊島泰経と太田道灌との戦い

かつて南関東に君臨していた豊島一族

一般的には「江戸を開いたのは太田道灌」と思われているかもしれませんが、当然、太田道灌以前にも現在の東京には文化がありました。

上記の豊島泰経は豊島一族最後の長でしたが、豊島氏は石神井城(現在の石神井公園の南側の高台)を本陣とする平安時代から続く南武蔵(東京を含む南関東)の名家で、室町時代以降、関東管領である上杉氏の配下として、現在の東京を治めていたようです。

江戸を二分する戦

簡単に言うと事の発端は、関東管領であった上杉家のお家騒動みたいですねぇ。

山内上杉家の家宰だった長尾景春という武将が家宰職を奪われたことで、主君であった山内上杉家の長である上杉顕定に反旗を翻し、景春と関係性の強かった(血縁関係や主従関係などがあったようです)豊島泰経もこれに従ったとのだとか。

さらに時を同じくして、これまでは豊島家がほぼ独占していた武蔵国南部(つまり今の東京地方)に、扇谷上杉家家宰の太田道灌が江戸城を築城したこともあり、豊島泰経としては「南武蔵国の利権」を独占するためにも、ここはイッチョ上杉家と事を構えてみるか、という気分になったのでしょう。

ボクが調べた限りだと、豊島泰経と太田道灌との戦いの経緯は、ざっとこんな感じだったようです。

区画整理でリアカー3台分の人骨が出てきた

しかし戦が始まるとその戦力には格段の差がありました。

一説には、豊島泰経の兵は「農閑期にのみ出兵する農民」であり、太田道灌の兵は「戦争のプロ」だったらしいです。あっという間に泰経の弟である泰明の平塚城(現在の北区、上中里駅近辺)が落城させられ、その後、本陣である石神井城と練馬城(かつて「としまえん」があった場所)の連合軍も、江古田原・沼袋あたりの戦いで、完膚なきまでにやられちゃったのです。

その際に、豊島方(一族の赤塚氏、板橋氏らふくめて)は150人もの死者をだしたのだとか。

500年後の昭和初期に江古田・沼袋の区画整理を行ったときですら「リアカー3台分の人骨」がでてきたというのですから!

だもんで、昔からよく「この辺りには出る」と言われていて、その手の話が大好きな同業者にとっては、ある意味「聖地」となっています。

有名なところでは、江戸時代には、豊島一族家臣の渡辺氏の呪いで、渡った者は死んでしまうという橋まであったらしいですが、それはまた別の機会に。

マンションの一角にある延命地蔵。江古田原・沼袋の戦いの戦死者の霊を祀る地蔵様ですが、いきなり普通のマンションの一階にあるというところが、実に怖いです。

公園にある豊島二百柱社。先に紹介した延命地蔵のすぐ近くにあります。「住宅街にあるのどかな公園」の気分をぶち壊してくれるパワーがみなぎっていますねぇ。

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2.今も東京は一つじゃない

前述したような戦の結果、南武蔵国は太田道灌が治めるようになり、さらに「江戸を開いたのは太田道灌だ」と言われるようになったというわけです。

しかし太田道灌に街を蹂躙された地元住民のDNAの中には、アンチ道灌イズムが根付いていたのでしょう。ボクが生まれるちょっと前に東京で開催された「江戸城築城500年記念祭」にぶつけるように建てられたのが上の「江古田原沼袋古戦場碑」なのです。

まるで「江戸城築城記念で浮かれてるんじゃないぜ、その影には、俺たちの先祖が味わった悲惨な戦争があったんだぜ」と言っているかのようです。イングヴェイ的に言えば「You don't remember,I'll never forget.」と言うところでしょうか。

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3.先住民の意地が作った伝説と祭り

黄金の鞍の豊島泰経&照姫伝説

江古田原・沼袋の戦いの後、史実としてはさらに石神井城を焼き払われ、豊島泰経は平塚城(東京北区)に逃げ込み、そこから足立方面へ逃げて行方不明になったらしいのですが(諸説あるようですので、興味のある方は調べてみて)、地元民としては「俺たちのお殿様の最後はもっとカッコよく歴史に刻みたい」という気概があったはず。

そんな感じで語られるようになったのが「覚悟を決めた豊島泰経は「きらびやかな鎧兜をまとい黄金の鞍をつけた白馬にまたがって『豊島泰経の最後の姿をその目に焼き付けておけーー』とばかり、三宝寺池に飛び込んで息絶えた」という伝説でしょう。

江戸時代の文献では「晴れた日には三宝寺池の底に黄金色に輝く鞍が見えた」と書かれているようです。さすが江戸っ子、そのへんは抜かりがありません。

また、泰経の後を追うように、その娘の照姫も父を追って三宝寺池に身を投げたという伝説も残っています。

これが三宝寺池。老眼のボクには残念ながら黄金の鞍の輝きは見えませんでした。

姫塚。照姫の死を憐れみ太田道灌が建てたという伝説が残っています。

殿塚。こちらは泰経を祀っているのですが、姫塚と比べるとどうしても「とってつけた感」が否めません。

今も行われる照姫まつり

例の流行り病のせいで、2021年は残念ながら中止となるようですが、1988年から毎年練馬区で開催されているお祭りです。

毎年、照姫、豊島泰経、奥方を一般公募し、公開オーディションで選考し「照姫行列」が行われ、さらに一般公募された総勢約100人が豊島氏一族に扮した「舞台演技 照姫伝説」が上演されるらしいで、流行り病が終わったら是非、見に行きたいですねぇ。

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4.戦場跡地には妖怪のテーマパークまである

江古田原・沼袋の戦いの激戦地だった場所に哲学堂がありますが、これがこの戦で亡くなった人たちの怨念と関係あるかどうかは知りませんが、ここには「幽霊やお化けを祀ってある」のです。

哲学堂自体が、すごく面白い場所なので、改めて紹介する予定ですが、まずは山門だけでも。

これが山門。物悲しい雰囲気はありますが、一見すると普通なのですが・・・。

山門の脇を覗くと天狗様が♪しかもなんか襲い掛かっているし。

もう片方を覗くとこんどは幽霊♪ 哲学堂を建てた井上円了という人も興味深いったらありゃしないです。

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5.石神井公園で水木大先生と触れ合う

天気が良かったので三宝寺池とか姫塚の写真を撮ってきた帰り、駅前でなにげなく入った蕎麦屋さんに、なぜか超御大 水木しげる大先生ゆかりの焼酎が並べられているじゃありませんか!

豊島泰経の怨霊の地を尋ね歩いていたこともあり、これも何かの縁だったのかもしれません♪

まずは「稲田姫」という水木しげる大先生の故郷の日本酒を飲んだ後、芋焼酎「なまけ者になりなさい」を呑んでみました。

「稲田姫(スサノウがヤマタノオロチから助けた女性)」は名の通りとても奇麗で呑みやすい味でしたが、「なまけもの」の方は「呑んだら後はもう、なまけものになるしかない」という感じのかなりガツンとする酒でしたねぇ。昼間っから気分は最高!

それはそうと豊島泰経関連の散歩ネタは、他にもまだまだたくさんありそうなので、これもボクのライフワークにしていきたいです。

イカの麹漬けが実に稲田姫によく合った。文庫本はいつもの「野尻抱影の星三百六十五夜」。これはいつ読んでも「間違いない」味わいです。

水木しげる大先生ネタの焼酎は他にもいくつかあるみたい。興味のある人はチャレンジしてください♪