もしかしたら普通の人には常識かもしれませんが(w)、「深川という地名が人の名前から付けられた」ということを、写真の「深川神明宮」の石碑ではじめて知りました♪
どうやら江戸が町造りをはじめた頃、摂津国(現:大阪府)から深川八郎右衛門という方が一族を引き連れこの地にやってきて、小名木川北岸一帯の開拓を行ったことから、付けられたようなのです。
散歩をしているとこういう「豆知識」を得ることがたまにありますよね♪
しかし今回は、別に「深川八郎右衛門」さんを調べにきたのではなく、この地に居を構えていた「松尾芭蕉」を紹介する「松尾芭蕉記念館」と、日本漫画の礎を築いた「のらくろ」を盛り上げている「のらくろーど」という商店街を探索にきたのです。
というのも「定年まで20か月」を切った今のボクにとって、「松尾芭蕉」と「のらくろ」は「人生の道しるべ」なのですよ。
旅に生きた松尾芭蕉は、「人生の終盤を散歩を中心に暮らしていきたい」と思っているボクにとっての「崇拝すべき健脚者」ですし、 「大尉まで昇進した のらくろは、戦後は軍に残らず除隊して大陸に渡り、金山を掘ったらしい」という情報を知って以来、のらくろは「第二の人生の歩き方を示してくれる大先輩」なのです。
そんな思いで深川を散策してきました。
今でも隅田川に架かっている「新大橋」は、新しく架け替えられた橋であり、それ以前は森下駅の西南あたりにあったらしいのです。それが上の写真の「旧新大橋跡」です♪
ま、古いのか新しいのかよくわからん、というツッコミ必須の名称なのですが、この「旧新大橋」の近くに、松尾芭蕉の家(芭蕉庵)があり、「カエルが飛び込む池」もあったようなのです。
その近くに下の写真の「江東区 松尾芭蕉記念館」があります。松尾芭蕉に関してはかなりの資料が残っているので「いまさら見に行かなくても知っているよ」という意見もあるでしょうけど、やはり、実際に行ってみないと♪
隅田川のほとりに建てられています。ここから川沿いに下っていくと「芭蕉庵 史跡展望園」や「芭蕉稲荷大明神」があります。
ピンボケで恐縮ですが、松尾芭蕉の旅の行程記録です。
改めて見ると、松尾芭蕉がいかに健脚だったかが判ります! 東北を回った奥の細道だけでなく、中部・関西を歩いた「野ざらし紀行」や「笈の小文」など、これらを徒歩で歩いた(一部、馬に乗ったところもあったにせよ)というのが本当にすごいです。
芭蕉庵のジオラマ。方丈記の鴨長明や、徒然草の兼好法師もそうですが、ボクが理想としている人たちは皆、質素な生活をしているんですよねぇ。
隅田川沿いを少し下ったところにある「芭蕉庵 史跡展望園」の入り口です。芭蕉記念館の裏手から川沿いを歩いていく方が迷わなくてよいと思います。
清洲橋を背景に、隅田川を見つめる芭蕉先生。結構シブイ顔をされています。
芭蕉庵 史跡展望園の近くにある「芭蕉稲荷大明神」の境内にあった句が妙に心に染みますねぇ、やっぱこの年になるとねぇ・・・。
うって変わって「田川水泡・のらくろ館」。芭蕉記念館から清澄通りまで戻り、それを渡ってしばらく行ったところにある「江東区 森下文化センター」の一階にあります。
「のらくろ」は戦中戦後の漫画なので、当然、ボクはリアルタイムでは知りませんが、実はボクが小学生時代(1960年代後半から1970年代頭)に、ちょっとした「のらくろブーム」がありました。
新作のアニメも作られましたし、描きおろしの漫画もありました。「のらくろ」が描かれた学習帳をはじめ、筆箱(当時は「ペンケース」なんて言葉はなかった)や下敷きなどにも「のらくろ」は大活躍していたのです。
そんな感じで、普通に懐かしい漫画なのですが、前述したように最近「野良犬だった のらくろは大尉まで昇りつめ中隊長にまでなったのに、戦後、除隊し大陸に渡って金を掘りに行った」という話を聞き、ビビッときたんですよね!
これはボクが「定年まで20か月を切った」ことと、ま、関係あるんでしょうねぇ。このまま「再雇用」を申請するのか、それとも「大陸に金を掘りに行くのか(いや、それはないですが)」の岐路に、まさに立たされているのですから。
日本漫画の本気の黎明期を作った田川水泡先生。
大きな模造紙に何かを書くって良いですよね。ボクも自分の25年後(え、そのときボクは80歳代だって!)を模造紙に書いてみたいと思います♪
現在「高橋のらくろーど」と呼ばれている商店街ですが、正式名称は「高橋 夜店通り」というらしいです。
「帽子屋さん」があるというのが、ボクが「素晴らしい商店街」と認定する要素の一つなのですが、ちゃんとここにもありました! しかも「のらくろが店番をしている感じ」がとても良いですねぇ。
酒屋さんでも「のらくろが店番」していました。しかも「のらくろ関連の酒」まであるようです!
ボクにとって森下と言えば、「もつ煮で有名な居酒屋」である「山利喜」と、この「元祖カレーパン」の「カトレア」です♪
「カレーパン」こそ、日本の「魔改造文化の王道」だと思うのです♪
「カトレア」のカレーパンはなんといっても「カレーの量が多い」のが魅力。そして「パン生地が厚すぎない」のも良いですねぇ。適度にスパイスが効いたカレーは「ちょいハイカラ路線を狙った日本の洋食」という感じで、おそらく万人受けするんじゃないですかね。
最近セブンイレブンでも大々的にカレーパンを押してきていますが、まだまだセブンさんは修行が必要ですよ♪
チャレンジし続けた松尾芭蕉や のらくろ のように生きるためには、まずは体力が必須。カレーに含まれる香辛料は、まさに「生薬」ですから、カレーこそ「行動力の源」なのです!
「乙女や」という名称が最高! 現役の乙女も、かつて乙女だった方も、未来の乙女も全員集合です。
有名なお肉屋さん。コロッケが美味しいらしいですが、なにせカレーパンを二つも食べた後だったので・・・。
ここ「たい焼き」は超有名ですよね。甘さ控えめがウリなので、酒飲みにも、ま、なんとかなる味ですww。
ここも甘党には有名な店。「深川あさり餅」や「のらくろ焼き」が有名です。
こういうお店があるのもこの地の魅力ですね。ボクも手ぬぐいを買ったことがあります。
桜鍋というのはちょっとブルジョワ風味が高くて敬遠していまいますが、この看板と店構えは魅力です。
山利喜が「女性を連れてたまに行く居酒屋」だとすると、魚三は一人でちょこっと入って呑む店ですかねぇ。以前、ここから歩いて帰れる場所に住んでいた時には、散歩がてらによく通っていました。いまは「例の流行り病」のために酒は出していないのでしょうか・・・。
松尾芭蕉も のらくろも、そして鴨長明も兼好法師も、そしてエピクロスも、たぶん仏陀も、ソロモンだって、「身体の健康」「心の安定」を幸福の根幹に置き「足るを知る」をモットーとしていたような気がするのです(文系の方からは「違う」と言われるかもしれないけどw)。
なのでボクは、休日のんびりと散歩ができる環境と健康に感謝し、カトレアのカレーパンを120パーセント堪能していくような人生を、これからも歩んでいきたいと思います♪