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●安寿伝説を探しに岩木山へ


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1.岩木山神社の祭神と「安寿と厨子王」の話

「岩木山」は古代より青森-津軽のシンボルで、数々の伝説にも登場する山なのです。岩木山を祖山とする「岩木山神社」の祭神の一神(※)に「顕国魂神(ウツシクニタマのかみ)」という神様がいるのですが、多くの文献ではこの神様のことを「オオクニヌシの別名」と書いているようですねぇ。

しかし、地元には「ウツシクニタマのかみ」とは「田光沼という白光を発する沼から表れた童女で、後にオオクニヌシの妻になった女神である」という伝説が残っているらしいのですよ。

この「ウスシクニタマ」という名の童女の「元の名前」は「クニヤスヒメ」だったらしく、オオクニヌシから「珠」を献上されたために「ウツシクニタマ」となったのだ、という説明が荒俣宏 著の「『歌枕』謎ときの旅」の250ページ以降に記載されていました。

そして荒俣宏氏は同著の中で、この童女の旧名である「クニヤスヒメ」は「国安珠姫」と記載され、これは「安珠(アンジュ)」とも読めると続けているのです。

もちろん「安寿」とは「安寿と厨子王」の「安寿」のことですが、もともと「安寿と厨子王」は「東北地方の太守の子供たち」ですので、東北地方のシンボルである「岩木山」と関係があってもおかしくはないですよね。

「安寿と厨子王」の物語を簡単に説明すると、「東北地方の太守の子供たちである安寿と厨子王という姉弟が、丹後の悪い金持ちの山椒大夫の元へ売り飛ばされ、そこでこき使われて安寿は死んでしまったが、その後、安寿の霊は厨子王を守護し、後に厨子王は偉くなってお家を再興し、憎き山椒大夫に復讐を果たし、生き別れの母親とも出会うことができた」というものです。

その「安寿の霊」が「岩木山神社の祭神」の一神なのではないかと、先の荒俣宏氏の著書には書かれているわけなのです。凄いな、アラマタ先生!

※他の祭神は「タツビヒメのかみ」「ウカノメのかみ」「オオヤマツミのかみ」「サカノウエノカリタマロのみこと」という四神だそうです。

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2.思いを巡らせ岩木山を登る

上述した話を事前に読んでいたボクは、もしかしたら山頂の「岩木山神社奥宮」に「安寿神話」についてのナニかを発見できるのでは、との淡い期待を胸に秘め、2018年の晩秋に岩木山に登りに行きました。

この場所までロープウェイで登ってきたのですが、山頂まで結構ありそうなイヤな予感ww

お化けや幽霊よりも熊と蝮とスズメバチが怖い、あとムカデとかヒルとかも・・。

曇り空が一瞬晴れて日本海が見えた! 昔から津軽地方の船乗りたちは岩木山を目印に航海していたらしい。

なんか良い感じの岩が見えた。この辺りまで登るだけで、もうかなりヘロヘロではある。 どうしたら健脚になれるのかなぁ・・・。

「四方八方(よもやも)の 千万(ちよろず)の山を見下ろして 心にかかる 雲もなき哉」という大町桂月という紀行文家の方の歌らしいです。

ようやく山頂。山頂のオブジェがかなりイケている!

山頂の奥を少し下りた場所に祠発見!

「岩木山神社奥宮」であることは判明したが・・。

「安寿」の文字を探したが良く判らん。安寿と岩木山との関係については、後でジックリ調べてみたいと思う。

なんか凄い狛犬らしきものを発見。コイツはいまでも丹後の人に対して吼えたり噛み付いたりするのだろうか?

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3.東北と大和朝廷の歴史には今後も注目したい

先の「安寿と厨子王」の話に戻りますが、山椒大夫が住んでいた丹後という土地は、当時、「大和朝廷が東北地方を支配するための前線基地」だったようですから、「丹後の人間が東北の人間に酷い目を合わせ、その後、東北の人間から復讐された」という「安寿と厨子王」の話は、東北(当時の奥州・出羽)の大和朝廷に対する憎しみが元になった話だとも解釈できますよね。

更に別の伝説では「ウツシクニタマがオオクニヌシから献上された珠を、丹後の海賊が盗み出したが、後に東北の若者によって取り返された。それ以来、丹後の人間が岩木山に登れば災難に見舞われるようになった」とも言われているようです。

どちらの話も「奥州と丹後の間にある、あまり良くない関係性」を表していますが、当時の日本において、大和朝廷と東北地方とは複雑な関係であったことは事実ですので、このような逸話が残されたのでしょう。

坂上田村麻呂と阿弖流為の話もそうですし、今後もこのあたりの「逸話」が「現在どのような形で残されているのか」については、調べてみたいと思いますねぇ。うーん、楽しみ楽しみ♪