昭和30年代後半40年代前半にかけて、当時の小学生の間で『亀ブーム』が起こっていたことはご存じでしょうか? おそらく大映の『ガメラ』の影響もあったのだと思いますねぇ。
当然、ボクも亀を飼っていました。クサガメという種類の亀を母親に買ってもらって大切に育てていたのです。
ちゃんと餌を与えたり水槽の掃除もしていたし、冬の間には冬眠もさせていたんですよ。冬眠から無事に覚めてくれたときは「やった!」という感じだったなぁ。
だから「図鑑でしか亀を知らない世代」と比べれば、多少、亀の形態については詳しいと自負してるのです♪ そんなボクが断言しましょう。 この料理は本当に『亀の手』っぽいんだぞ! ま、そんなことは「図鑑世代」の子でもわかりますよね。
当たり前ですが、実際に亀を飼っていた時は、愛らしいその友人の手を肴にぬる燗を楽しむことになるなんて微塵も考えていませんでした。
しかし年を重ねるというのは面白いもので、天命を知る年齢を過ぎた今となっては、生きとし生けるものすべてに対して「これを食べながら呑むには、どんな酒が合うだろうか」と考えるようになってきてしまいました♪
そして、濃厚な海の風味が詰まったこの『カメノテ』には、「米の味わいが強く感じられる辛口の酒をぬる燗で」という結論に至ったのです。
塩ゆでした『カメノテ』を指で引きちぎり、皮を剥いて中身を口に放り込む。噛みしめると海そのものが口の中に広がっていくようです。
そして、これに負けないようなガツンとした酒をぬる燗で呑む。 口の中で米と海とがゆっくりと交じり合い、それぞれが自己主張しながらも相手のことも尊重し合う感じなんですよ。
西洋音楽のハーモニーというよりは、雅楽のそれに近い交わりのようだなぁなんて、音楽のことなんてよく解ってもいないくせに、そんな独りごとを言ってみたり。
うん、酒と肴の関係はこうでなくちゃいけない、なんて独りごとを更に続けながら猪口を進めるのです。
実に酒が美味い、いや、旨いと書くべきですかね。
大海原は喉の奥に流れ去ったけど、口の中にはまだ海だったころの記憶が残っている、そこに追い打ちでまた酒を呑む。これがたまらなく旨いのです!
なんか、ちょっとした「グルメ記事」みたいなシャラクサイことを書いてしまいましたが、これこそ「子供時代には分からなかった『亀の愛で方』」なのですよ。ああ、オヤジって最高だぜ!
この『カメノテ』、人によってはかなりグロテスクに見えるでしょうねぇ♪ 亀の手の爪のような形状もそうですし、岩にベッタリと張り付いているというところに「引く」人も多いと思います。
しかし『珍味』の価値って、その見てくれの悪さもまた、重要なファクターであるような気がするのです。理系的な表現をすれば『珍味』の価値は、『味』『希少性』『見てくれの異様さ』『名称の特殊性』という4次元のマトリクスで表現されるのではないでしょうか。
『カメノテ』はフジツボと同じで、生息場所には結構うじゃうじゃいそうなので、地元での『希少性』は低いかもしれません。 それでも東京生まれ東京育ちのボクにとってはかなりの「レア感」です。そして、それ以外の上記のファクターは文句なしにダントツなのです。
そういう“理系的解析からも”カメノテはトップクラスの珍味だと判明したというわけですが、言いたいことは「カメノテを肴に美味い酒を呑んで、うだうだと楽しい妄想の世界を楽しみましょう」ということですかね♪
ところで『カメノテ』はスペインでは『ペルセベ』と呼ばれていて、かなりの高級食材らしいですよ。
食べ方は日本と同じで、塩茹でしたモノをつまんで皮をはがし、口の中で身をそぎ落として食べるようですねぇ。 あいつらは太陽の下でキンキンに冷えた白ワインを飲みながら『カメノテ』を頬ばって、陽気に騒ぐんだろうなぁ。
今度ボクも「プランチャー」とか「トペコンヒーロー」とか、知ってるスペイン語を叫びながら、キンキンに冷やした白ワインと一緒にカメノテを味わってみたいですねぇ。 ちなみに上記のスペイン語は「プロレス技の名称」です♪
しかし陽気になってばかりもいられないようです。「カメノテ」は流れの速い海底の岩場に生息しているために、漁はまさしく命がけなのだとか。
そりゃそうですよね。おろし金のような鋭い岩場を、激しい海流で転がされるなんて、考えただけでも身の毛がよだちます。
そんなことを考えると、「カメノテ」は姿勢を正さして食べるべきだ、なんて余計なことを考えてしまいそうです。 「プロレス技を叫びながら食べたいなんて、この罰当たりめ!」と、一度自分を戒めておきます。
でもやはり太陽の下で陽気にワインと一緒に食べてみたいという煩悩は消せないですよn♪ ウラカンラナ!(これもプロレス技です)