東京だけでなくおそらく日本の中でもトップクラスの「厨房器具販売の街」である合羽橋商店街の外れに、「河童寺」と異名をとる「曹源寺」というお寺があります。
異名のいわれは「河童大明神」という神様を祀ってある別堂(「河童堂」という名前)があるからなのですが、なんとそこには「河童の手のミイラ」なるものまで祀られているのです!
河童寺の入り口にある「かっぱのぎーちゃん」。デザインがとても素晴らしいです♪
境内入り口近くにある「河童堂」の前にあるお賽銭箱。ちゃんとキュウリがお供えされてい蒔いた♪
河童堂は普段は施錠されていますので、内部を見学するには事前にお願いしておく必要があります。
ボクの場合は事前連絡無しに行ったのですが、偶然、そのタイミングで他の見学の方がいらっしゃったので、それに紛れ込ませていただくことができました。ま、ボクは河童様をはじめとした数々の異形の主のご加護に恵まれているので、無事見学できましたが、皆さんは必ず事前予約をお願いしますね♪
これが河童の手のミイラ、うやうやしく木の箱に収められていました。
箱には「水虎之手」と書かれていました。河童を「水虎」と表現した当時の人のセンスには脱帽です。
「河童の手のミイラ」の近影です。大きさはだいたい「猫の後足」ぐらいのイメージですかね。形状も「猫の後足」のような感じです。ていうか「猫の後足」なんじゃねぇ? とか言っていると後述する「河童大明神様」にどやされてしまいますよ。
合羽橋商店街には後述するように「河童のオブジェ」がたくさんあります。人によっては「合羽と河童とをかけているんだろ」と言う方もいますが、実はそんな単純なものではないのです。
そもそも「なぜこの地は合羽橋と呼ばれているのか?」 そして「なぜ河童が祀られているのか?」について説明してみたいと思います。
まずは上の写真、曹源寺にある「川太郎さん」のお墓をご覧ください。この「川太郎さん」は実在の人物らしく、本名は「喜八さん」と言う方で、1800年代の前半にこの地で「合羽屋」さんを営んでいた方とのことです。
もともと隅田川の東側は水はけが悪い土地でしたから、雨が降るとこのあたりはいつも水浸しになり、商売はおろか生活するにもかなり厳しい土地だったようですねぇ。
そして1814年(文化11年)に、この「喜八さん」が資材をなげうって、この土地の治水工事を行ったということなのです。それゆえその時に作られた掘割に架かった橋を(合羽屋の喜八さんにちなんで)「合羽橋」と呼ぶようになったとのことです。
じゃあ、なんでそれが「河童」なのかというと、治水工事の際に「以前、喜八さんに世話になった隅田川の河童たちが、恩返しに手伝ってくれた」から、というらしいのです。
もちろんここでいう「河童」というのは、伝説上の「頭にお皿があって甲羅とクチバシを持つ謎のイキモノ」ではないでしょう。おそらく、隅田川河川敷で生活していた人たちのことを指していたのでしょうね。ま、本物の「河童」が手伝ったという方が、ボクとしては面白いですけどね♪
※墓石には「てっぺんに手向けの水や川太郎」という句が刻まれています。
曹源寺「河童堂」に祀られている「喜八さんの治水工事を手伝う河童たちの絵」です。大勢の河童たちがこの土地を改善してくれたのですねぇ。
普段はお気軽に酒を呑んで釣りをしている河童ですが、いざという時には頼りになるんですよ。河童こそボクの模範の生き方ですねぇ。
このような理由から、このあたりは「合羽」であり「河童」なわけなのです!
このような喜八さんと河童たちによる治水工事によって、その後、この地は繁栄するようになりました。そのことから合羽橋においては「河童=繁栄をもたらす存在」として定着していったのです。
曹源寺の「河童堂」のご本尊は、喜八さんの治水工事を手伝ってくれた河童たちの親分である「河童大明神」です。
それが下の写真。さすが「大勢の河童たちを仕切って工事を遂行させた河童の親分」だけあって、最近の「ゆるい河童」などではなく、きちんと恐怖のエッセンスを持っていますよねぇ。
河童大明神のお姿からも「商売繁盛は並大抵のことじゃないぞ」ということがヒシヒシと伝わってきますよね。命がけで大変な工事を手伝ってくれた河童の大親分です。祈願をするにしても心して行いましょう。「オンカッパヤソワカ」
河童堂にあった「弁天様と河童」の絵。ふくよかな裸体の女性と不気味な河童との組み合わせは、男の股間にグッときます!
これも河童堂にあった絵です。もしかしたら河童の親分はこんな感じの方だったのでしょうか? やっぱりかなりの強面です。
河童堂には実はスゴイお宝がたくさんあるのですよ! 超有名人の先生たちによる河童のイラストが壁面に描かれているのです。これを見るだけでもここを見学する価値がありますよ!
水木しげる先生: これを発見したときはホント涙が出てきました。ボクが最も敬愛する大先生の絵と出会えるなんて!
手塚治虫先生: 神様の作品もありました。どてらにキセルの河童。これも涙モノの作品ですねぇ。
清水崑先生?: ふくよかで色っぽいママさんが素敵です。やっぱり河童と言えば「酒と女性」ですねぇ。
島田啓三先生: 船頭河童。表情がいいなぁ。下で紹介している『船頭河童』はこの絵が元になっているのかなぁ?
秋玲司先生: 相撲に勝った河童はきっと 下で紹介している「さがみ屋の肉」を食べたからに違いないです♪
合羽橋にはたくさんの「河童のオブジェ」が建っています。もしかしたらその後、壊れたり消えたりしているものもあるかもしれませんが、この地を訪れた方は、是非、探してみてください。一番下に地図も掲載しておきました。
河童の写真の下に書かれている「逸話」は、かつて「浅草かっぱ村」のサイトに記載されていたものなのですが、残念ながら今、そのサイトが見当たりません。。
職人河童: 合羽橋本通りの入り口(上野方面)にいる第一号の河童。 たぶん『物知り河童』か『職人河童』のどちらかだと思うが、 近くに職人さん系の店が多いので『職人河童』とした。
縛られ河童: 居酒屋「たか」の前にいた。悪さばかりしていたために縛られてしまい、百万の人から叩かれ、その人々に功徳を授けることを条件に放してもらったのだとか。
船頭河童: 浅草の商家の若旦那と、向島で江戸友禅の仕事をしている職人の娘との仲を取り持った「縁結び」の河童だ。
韋駄天河童: 足が速く、水戸藩のお殿様へ座布団(もしかしたら「もりもと」の座布団か?)を届けた、交通安全・健脚健康を司る河童。
への河童: 川に溺れた子供達をおならで助けた河童。おならの河童がなぜか「大願成就」の河童になりました。
ビバノンノン足湯河童: 足湯につかる河童。なんとなく気持ち良さそうな顔をしている、まさに河童っぽい河童。
ものしり河童: 「もりもと」の前に設置されている恐らく「ものしり河童」。人間世界で寺子屋をつくり様々な学問を教えたらしい。
河童の石盤: 曹源寺の川太郎の墓の後ろにある、妖怪チックな河童だが、見つけるのが大変かも。
ある意味正統派の河童: いかにも馬を川に引きずり込んだり、シリコダマを抜いてしまうような河童。意地悪そうな表情がいいなぁ。
蕎麦を打つ河童たち: 蕎麦の実を石臼で挽くヤツ、こねるヤツ、麺棒で伸ばすヤツ、切るヤツ、茹でるヤツ。合計7人(?)の河童たち。
台東区のへそ: 『台東区のへそ』に位置するモニュメント。たぶん河童だと思う。かなり可愛い。
河童のきっちゃん: 相模の国の猟師から牛肉をもらって強くなった河童。『肉のさがみ屋』の前に置かれているのも何かの縁。
蛙かっぱ: いい雰囲気の頭に蛙を乗せた河童。 タートルネックっぽいんで、亀で蛙で河童という感じだ。
河童おめん少年: か弱い美少年が河童のお面をつけた、なんか純文学っぽい木像。
踊る河童: テプコの入り口にある。以前は踊れたのだが、 現在は踊れない河童。
河太郎の像: 2003年10月に合羽橋道具街誕生90周年を記念して建てられた黄金の河童像。 合羽橋では「川太郎」と言えばこの地域の治水工事を行った人間の名前なので、「河太郎」と標記しているのがポイントです。
河童くん: マスコット要素は最高。 ボク的には一番お友達になりたい河童くん。キーホルダーなどのグッズ化して 欲しい。 どこにあるのかはあえて言わないので、是非、探してみてくださいませ。
さがみ屋の『かっぱステーキ』: 上の『河童のきっちゃん』の「河童を強くした肉」というのは、 もしかしたらこれのことじゃないのか?