一人旅ネタ&散歩ネタを紹介|けさらんぱさらん|

●地獄とはかくも美しい場所なのか


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1.地獄を信仰する日本人

人は死ねば地獄に行く

東洋・西洋の区別なく、「地獄」というのは「極楽」もしくは「天国」の対になる場所で、一般的に「悪人が死んだ後に行く場所」と考えられていますよね。だけど、日本人においては若干違っているのかなって、ボクは恐山を訪れたときに感じたのです。

ここには後述する「賽の河原」や「血の池地獄」などと呼ばれる場所があるにも関わらず、地元の人には「人は死ねばお山(恐山)に行く」と伝承されているようです。

つまり「人間は死ねば地獄に行く」というのが大前提なのですね。

これはこの地の人たちにだけでなく、日本人全体になんとなく染みわたっている感覚なのではと感じ、後述するような考察をしてみたのです。

日本人の自虐性

日本人は「自分の国を悪く言うことが好きだ」とよく言われています。また自分の所属する組織や団体の悪口を言うのも大好きです。

どうやら日本人は、長い年月をかけて「自らを否定する方が、自分たちにとって有利に働く」ということを覚え、それが現在の「自虐性」へとつながってきたのでしょう。

この原因が「共同作業を前提とする稲作文化」にある、のかどうかは不明ですけど、なんとなく関係性があるような気がしますねぇ、いかがでしょう。

地獄とは罪を浄化させてくれる場所

前述した自虐性によって、「私たちは罪深い存在で、死んだ後は地獄によってそのつぐないをするのだ」という感覚を、日本人は持っているのではないでしょうか。

「地獄で受ける罰」は「自分たちの罪を消し去ってくれるもの」であり、だからこそ日本人は「地獄を祀る」のだ、というのが、ボクが恐山で出した結論です。また、ボクの病気が出てきた感じですがww

責め苦を受ける自分自身を想像し安堵する

上述した理由なのか、ボクは恐山において、ものすごい恐怖心を感じたのと同時に、ものすごい安堵感も感じたのです。

つまり、罪にまみれたボクの肉体や精神は、恐山での「仮想地獄責め苦」によって浄化された感じでしょうか。

皆さんも、恐山に行ってボクと同じような清らかな体験をしてみてください♪

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2.地獄のコンポーネントが揃い踏み

上記のように「地獄」というのは日本人にとっては「恐怖の対象」であると同時に「自分たちを浄化させてくれる存在」なのです。

そしてここ恐山には、来訪者を浄化させてくれる「恐怖のコンポーネント」で満ち溢れていますので、本気で恐れおののき、本気で浄化されてみてください。

「三途の川」は誰もが知ってる地獄コンポーネント。左の柳は「死者の服をかけて、その枝の垂れ具合で生前の悪行を推量する」ためのアイテム。

彼女が死者から着物をはぎ取る「奪衣婆」。

で、彼がその旦那である「奪衣翁」。

ここが賽の河原。ほとんどの生物は生きていけそうもない感じ。

これまた超有名な「血の池」。鉄分が含まれている地下水なので色が赤いです。

地獄の風景。美しさと不気味さとが同居しています。

美しい風景も、実に不気味に見えるから不思議です。

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3.呪いよりも怖いものが存在するのだ

恐山に入った人の体調が悪くなったり、身に着けていたものや納められたお賽銭がが変色したりと、この地にはいわゆる「呪い話」が伝わっています。

ま、これは火山活動による硫黄の働きであって、呪いでもなんでもないのですけどねぇ♪

しかし、地面近くの濃度の高い硫黄ガスの影響を受けやすいお子さんや、体力が衰えている老人や病人にとっては重大な悪影響を受けることもあるでしょうし、大切なネックレスが変色してしまうなども避けたいので、十分に気を付けてくださいませ。

しかし、そんなことよりももっと恐ろしいモノが恐山には存在するのです!

この先の「奥の院」には有名な「不動明王」が祀られているのですが、こんな看板があるんで、臆病なボクはこれ以上進めませんでした。

見学コースの脇に普通に立っている看板。やぶっぽいところを歩く場所もあるので、本気でコワイです。

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4.イタコ未経験者として

理系オヤジにおいてイタコとは

ボクは「霊体験」について次のような考えを持っています。

(1)特定集団の中で一般化された“思い込み”よって引き起こされる錯覚が霊体験と言われるものだ。

(2)人間の意識とは脳や肉体における化学変化であり、脳や肉体が死滅した後にも“そのままの状態で”残るようなたぐいのものではない。

ま、もともこも無い意見なのですが、逆に言うと、特定の人物の魂が「霊魂になって恐山に漂っている」と、ある一定数が信じ込んでいる場合、その集団の中では「死者の霊魂を呼び出して語らせる」ことも、(その集団の中では)実際に起こりうることだ、と言えるわけです。

人間が「●●は存在している」と感じていることは全て「その人がそう感じている」ということであって、「想い」があって初めて「物は存在する」ということです。これは「量子力学の超発展的な考察方法」であり、理系オヤジとしてはこのような考え方をすることで、ギリギリ、霊の存在を語れるって感じでしょうかねぇ。

イタコは農閑期の副業

テレビによく出る占い師などと違って、イタコは「専業者」ではないようです。たいていは農家のおかみさんや姑さんで、普段は農業を営まれている、普通の方のようです。

普通の女性が、どのような心境でイタコになるのでしょうかねぇ。農閑期には男衆は街へ出稼ぎに行くのと同じように、女衆は「山へ、イタコしにいぐべ」って感じなのでしょうか。そのあたりは、地元の方からじっくりと伺ってみたいものです。

プロレス能力が必要

イタコをやるにも、イタコと話をするにも、必要なのはやっぱり「プロレス能力」だと思うのですよ。 ちゃんとお互いに距離感を取りながらも真剣勝負を演じることこそ、最も大切なことなんだと思うのです。あ、これってイタコに限らず全ての社会活動においての大原則ですよね。

てことは、イタコとの対話は、人生にとってものすごく効果的なトレーニングになりそうです。

ボクはイタコ未体験者なのですが、そう考えていると無性にイタコ体験したくなりました。

調べてみるとイタコの料金は「一人呼びだすごとに」だいたい3〜5000円ぐらいみたいですね。あとは恐山の入山料(500円ぐらい)と、往復の運賃および宿泊費ですかね。ボクのような暇人以外には「イタコに口寄せしてもらうためだけに恐山に行く」というのは、かなりハードルが高い気がしますねぇ♪

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5.実は極楽だったりもする

いかにも「小屋」って感じが素晴らしい♪

最初の方に、日本人にとって地獄とは自らの罪を浄化させる再生の場である、という趣旨のことを書きましたが、実際に恐山には「極楽」も兼ねそろえているのです。

恐山の門をくぐってすぐに表れるのがこの温泉小屋。入場は無料、まさに極楽そのものなのです。

紹介したように恐山は「かくも美しい場所」なのです。責め苦を受け浄化される自分自身を妄想するもよし、イタコとプロレス能力を競い合うもよし、熊や蝮と戯れるもよし、温泉につかるもよし。是非、皆さまも地獄を満喫してみてください♪

輪廻を繰り返す六つの世界のそれぞれで衆生を救ってくれる「六大地蔵」。石坐像では日本一の大きさらしいです。

ちなみに六つの世界(六道の世界)とは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天国を指すそうです。