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●平将門の兜が眠る神社(過去記事)


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1.兜町の名前の由来

日本の金融市場の中枢ともいえる兜町。 日本橋川と首都高速道路とに囲まれた、文字通りの「コンクリート・ジャングル」のこの街には不思議な伝説が残る神社が建っています。

そもそも、経済原理が幅を利かせているこの場所に、小さいとはいえ神社が残っているというところからも、なんとなく「曰くありげな香り」を感じませんか?

この神社、「平将門(たいらのまさかど)の兜が眠る」という伝説が残っていて、 地名の「兜町」も、この伝説が起源になっているようなのです。

そう考えると、「日本経済は将門によって守られている」と思えなくもないですよね♪

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2.ひっそりと建つ兜神社

たぶん皆さんご存じだと思いますが、一言で平将門を説明すると 「古代日本(10世紀)に実在した、関東地方を制覇していた武将」ということになります。

単なる一武将ではなく、自らを「新皇」と称し、当時の朝廷に反旗を翻した、いわゆる「革命家」で、数多くの伝説や逸話が残り、オカルトの世界の中でも数多くの作品に登場してくる人物です。

彼の野望も、最終的には朝廷側によって制圧されてしまうのですが、その「怨霊」は、様々に形を変えて受け継がれているのは有名ですよね。

たとえば大手町に残る「将門の首塚」。 おそらく世界でも最高の土地代の場所に、今も「首塚」なんていうものが残されているのですから。 「首塚を撤去しようとすると、いつも『将門の祟り』のために工事関係者が不幸な目に合う」なんて話、聞いたことがある人は多いと思います。

兜町の兜神社も、そのような「祟り」があったのでしょうか? そのあたりは調べ切れていないのですが、ご存じの方は是非、教えていただきたいです。

コンクリートの空間にひっそりと建つ兜神社を見ていると、こうした「霊的なものに対する畏敬の念」が「現代社会が引き起こす人間疎外」を和らげる「緩衝材」の役割を果たしているんじゃないかなって思えてくるのです。

これが「将門の兜」が埋まっていると言われている「兜岩」です。

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3.いくつかの伝説が残っている

「将門の兜」が埋められているという伝説は要約すると、

「関東で謀反を翻していた平将門を、940年(天慶3年)承平天慶の乱で討伐した藤原秀郷(俵藤太秀郷)が、『将門の首』を携えて帰還する際に、その兜をこの地に埋めて供養した」

ということになりますが、どうやら確かな話ではないようです。 兜神社で配布されていた資料では、「将門の兜」以外にも次のような謂れが書かれていました。

1051年(永承6年)、前九年の役に出征する源義家が、この岩に兜を掛けて戦勝祈願をした。

1087年(寛治元年)、後三年の役で凱旋帰還する源義家が、岩がある当地で記念に自分の兜を地中に埋めた。

ま、源義家が「兜を掛けて祈願した」のも「兜を埋めた」のも、「もともとこの地が、平将門の兜が祀られている場所だから」というようにもとられますので、これらの謂れは「矛盾はしない」と思います。

こうした1000年近い(あるいは1000年以上)昔の話が、現代の金融市場に残っているなんて、ワクワクしてきますよね♪