『日本三大悪妖怪』の一つに数えられる酒呑童子、この鬼のオヤブンの首を刎ねたとされる刀が国宝となって 上野の国立博物館に展示されているのをご存じでしたか?
同施設には他にも様々な刀が展示されているのですが、他の刀を圧倒するオーラを放っている(ように見える)んですよ。美術品としての価値だけでなく「あやしげな伝説」が残されているのもこの方なの魅力なんです!
平安時代の初期に、京都の大江山に住んでいた鬼のオヤブンで、京の都に現れては高貴な姫君をさらっては我がモノにしたり食い殺したりしたというとんでもないヤツなんです。
一説には、ヤマタノオロチと人間の娘との間の子供とも言われていたようですねぇ。
「御伽草子」などの記載によれば、酒呑童子一味を退治するために、源頼光が家来の藤原保昌・渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・占部季武を引き連れて大江山に出向いたとのこと。
そして、八幡・住吉・熊野三神の加護を得て、酒呑童子に『神便鬼毒酒』という酒を飲ませ身体を動かなくさせ、首を切り落としましたが、そのときの刀が写真の「酒呑童子斬り安綱」なのだとか。
この刀は頼光の子孫である摂津家に伝わり、室町時代には足利将軍義輝に、その後、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康へと受け継がれていきました。つまり「武家最高権力者の象徴」になったわけです。
この刀には曰くが多く残されていて、刀としての評価も高いようです。 八代将軍吉宗の時代には全国の名刀名鑑「吊物帳」にも記載され、 幕末には、鬼丸国綱(おにまるくにつな)、三日月宗近(みかづきむねちか)、大典太(おおてんた)、数珠丸(じゅずまる)とともに“天下五剣”と呼ばれることになったのだとか。
他のニ妖怪は
◆玉藻前(たまものまえ)
白面金毛九尾の狐(はくめんこんもうきゅうびのきつね)が化けた絶世の美女 。
藤原得子がモデルとされる。
◆大天狗
流刑にされた崇徳天皇が変化した姿。
それぞれの詳細はまたの機会に調べてみたいと思います。
彼はもともと相当な美少年だったらしいです。西洋のサタンは地に落ちる前は輝く12枚の羽根を持った光の天使だったように、真の悪というのは美と表裏一体をなす場合が多いですねぇ。
絶世の美少年だったため、彼に恋心をいだく女性がたくさんいたらしく、恋煩いで死んでいった女性たちの怨念で(女性たちからもらった恋文を燃やしたらしい)鬼に変化したという、とんでもない理由で鬼になってしまったわけです。
それ以外にも母に捨てられた子供が各地を流浪するうちに鬼になったとか、比叡山にて修行していた僧侶が、禁じられている酒を呑んだため、鬼の面が顔から外れなくなったとか、いくつかの逸話が残っているようですが、「元々は人間だった」というのが共通の説のようですねぇ。
酒呑童子討伐に向う頼光一行の前に、住吉・熊野・石清水の三社の神が、 老人の姿で現れたのですが、そのときに「星甲(ほしかぶと)」という兜と共に頼光に与えた酒だそうです。
鬼が飲めば、鬼の神通力が失われ、人が飲めば、力が満々とわいてくるという便利なもので、京都の成相寺には神便鬼毒酒を振舞ったときに用いた酒徳利が残っているらしいですよ。
◆ホントっぽいもの
徳川二代将軍秀忠は自分の娘・勝姫にこの刀を贈ったのですが、勝姫の息子である光長が 幼少の頃、夜鳴きがひどかったのだが、光長の枕元にこの刀を置いたら夜鳴きが治ったという、 ホンワカとした伝説があります。
また、この光長が所有していた時代、町田長太夫という剣の達人が、六人の死体を重ね、 この刀で両断し更に地面にまで食い込んだという話ものこされているようです。(六つ胴裁断土壇払い)
◆アレっぽいもの
この刀はもともと坂上田村麻呂が伊勢神宮に奉紊したもので、それを源頼光が夢のお告げにより貰い受けたとの話があるようです。
南北朝の時代(鎌倉時代と室町時代の間)、新田義貞の所有の頃。 義貞が鎌倉攻めの際、稲村ケ崎が満ち潮のために渡れず、この刀を海に投じたところ引き潮になり、鎌倉に攻め入ることができたという話も残っています。
もともとこの刀は、これを造った安綱が竜宮に献上したもので、江豚(普通はカワイルカを指すようだが、ここではおそらくクジラのことでなないか)が飲み込んで百年以上経ってから腹から取り出したのだとか。
江戸時代、徳川光長所有の頃。 刀を研ぎなおすために、上野広小路の本阿弥家に預けていたとき火事に遭い、家の者が非難したときに本阿弥家の屋根の上に白い狐が現れ、まだこの刀が家の中に残っているのを教え、それで家人が火の粉をくぐり家に戻って無事、この刀を持ち出したという話も残っています。
「酒呑童子討伐」にも参加した渡辺綱が、京都で暴れる「茨城童子」という名前の鬼の腕を切り落としたと言われる刀も紹介します。
ザックリと説明すると「京都の一条戻橋の上で茨木童子の腕を源氏の名刀『髭切りの太刀』で切り落とした」という話で、謡曲「羅生門」はこの「一条戻橋の説話」を羅城門に移しかえたものとのことです。
上の写真の 茨木童子の巨大絵馬 というのが、東京北区の王子稲荷神社には奉納されていて、これは「渡辺綱に切り落とされた腕を、女に化けて取り戻した茨木童子」を描いたものです。壁一面に及ぶ巨大な絵馬で「柴田是真の出世作」だそうで、天保11年2月初午江戸住吉の砂糖商人組合が、天保の改革を行った幕府に対し 商権の復権の願をかけて(腕を取り戻した茨木童子とかけて)奉納したのこと。毎年新年三が日と初午にのみ公開されています。
この「髭切りの太刀」は京都の北野天満宮に奉納されているのです! この「髭切」は最近のアニメにも登場するようで、いわゆる「腐女子」の方々がたくさん見学しにきていました♪