カフェと併設されている「野口英世青春館」です。かなり歴史のある建物で、それだけでも入ってみる価値はありそうです!
セピア色の写真というのはやはりグッときますねぇ♪ 銅像はちょっと微妙ですが・・・。
「Memorial house of Dr.H.Noguchi Aizu Ichiban Kan」と書かれています。
向かって左は野口英世のイラストでしょうけど、右の方は誰でしょう? 奥様?
「野口英世青春館」がある「會津壹番館」は明治17年に「第六十国立銀行若松支店」として建てられた建物で、その後、明治24年にアメリカ帰りの医師「渡部鼎(かなえ)」氏によって「会陽医院」として改修されました。
そしてこの病院で野口英世(当時は「清作」という名前)が左手の手術をし、英世自身も明治26年から3年半の間、ここで書生として住み込んでいたのだとか。
なぜか「神様」が野口英世を説明していました。
どうでも良いことですが、みうらじゅん氏の曲「あぁ、もっともだ」にも唄われた「野口英世の母の名前はシカで、姉の名前はイヌ」はどうやら事実のようです♪