ボクにとって無くてはならないもの、それが『耳かき』なのです。職場の机の引き出し、自宅の机の上、ベッド脇の棚の上、愛車の中、鞄の中、上着の内ポケットなどには耳かきを常設しており、気が向いたときに即、ガリガリと耳かきができるようにしています。
そんなわけで、ボクの耳の内壁は常に傷ついていて、ちょっと耳かきをするだけで血が出てきます。出血するとそれが固まりカサブタになるので、また耳の内部が痒くなるので、また耳かきをする。すると血が出て、という具合で永遠に止まらない耳かきループが構築されているという次第です。
そんな必須アイテム『耳かき』なのですが、耳かきならなんでも良いというわけではありません。最近ではいろいろな種類のものが出回っているので、自分にあった耳かきを探すのも耳かき道楽の楽しいところですねぇ。
以前、巣鴨地蔵で3000円もする耳かきを買ったことがありました。築数百年の古い家屋の囲炉裏に使われていた竹を使った耳かきで、数百年間も煙で燻されているので、とても綺麗な飴色をしていましたっけ。
だけど、ボクはかなり強めに耳かきをするため、その歴史を刻み込んだ耳かきは数日で折れてしまったのです。本当に残念だったなぁ。
金属製の耳かきを使っていたこともあります。棒の先に小さな輪のようなものが数個付いていて、全方位的に耳の内壁にこびりついた耳垢を削り取ることができるシロモノでした。
しかし、この金属製の耳かきも使っている最中に折れてしまったのです!
どうやら使っているうちに耳からの出血が金属を腐敗させていたらしいですねぇ。
耳の中に折れた耳かきの先端が残ってしまったことにもかなりあせりましたが、なによりも金属の耳かきが折れたことに感動してしまいました。
ゴルゴ13に「長年牢屋に閉じ込められていた男が、小窓に取り付けられた鉄格子に、毎日毎日、食事のスープを擦り付けることで、スープの塩分によって鉄を腐食させて鉄格子を折ろうとしていた」という話しがありましたが、そういうことって本当にできるんですね!
そんなボクが使う『メインの耳かき』は竹製のものを改造したものです。中学時代からはまっているのですが、竹製耳かきを買ってきて先端部分をナイフで鋭角的に削り、ガツンとした耳アタリが得られるように改造しています。
太く先端のカーブが深いものから耳の最深部をほじるための細く先端のカーブが浅いものまで何パターンか用意し、ゴルフクラブのように番号をふってそろえているのです。
溜まっている耳垢の量、質(普段は乾燥しているが、風呂上りなどは湿っている)、へばり付き度合い、へばりついている場所等によって、「この感じだと4番の耳かきで回転するようにほじるといいな」とか選んでいるわけです。ま、ある意味『病気』ですね。
そんなボクの耳かき道楽ですが、どうやらこれは伝染するらしいことが判明しました。
40代前半に同棲していた女性と久しぶりに再会しドライブに出かけたときのことです。彼女はダッシュボードにある耳かきを引っ張り出してきて耳掃除を始めたのですが、その耳かきは買ってきたばかりで先端を鋭角に加工していなかった奴だったんです。
その耳かきを使った彼女は「なんか昔と違ってガツンとした耳かきじゃないね」とのたまうですよ。
ボクは別の『加工済み』の耳かきを出し、それを彼女に渡したら、「これこれ、この感覚」と気持ちよさそうに耳掃除を続けていました。
なんか、ちょっと嬉しくなったのを覚えています。
そこでボクが気づいたことは・・・
「どうでも良いことほど、共感できたときの嬉しさは増す。」ということです。これをボクは「耳かきの法則」と呼んでいます。