伊賀と甲賀とは、現在の感覚で言うと「車で小一時間」の距離なのですが、当時の「山越え」を考えると、別世界だったのかもしれないですねぇ。
そんなわけで伊賀と甲賀とでは、かなりの違いがあるようなのです。
社会体系としては、伊賀忍者は「完全なる縦社会」で、江戸時代には武士階級になったのに対して、甲賀忍者は「合議制の社会」を構築しており、身分的にには武士階級になれなかったとのことです。
これはこれで興味深いのですが、今回はもっと『理系おやじ的』にその違いを考えてみることを目的に、伊賀と甲賀、それぞれに泊りがけで探索してきた次第です。
伊賀の忍者屋敷。博物館の要素が高いかな。
甲賀の忍者屋敷。実際の忍者屋敷の転用。
忍者が「水の上を歩く」ときに使う『みずぐも』ですが、伊賀と甲賀とではまるきりコンセプトが違うのです。
伊賀の『みずぐも』は『草履タイプ』
甲賀の『みずぐも』は『浮き輪タイプ』
甲賀タイプは「後ろ方向にのみ折れ曲がる一本歯の下駄」を履き、それを水かきのようにして水上を進む。
【伊賀タイプで本当に浮くのか?】
『浮力』とは「物体が押しのけた水の重さ分だけ体重が軽くなる」という仕組みで生じるわけですから、直径40センチ厚さ数センチの『みずぐも』が人間の体重を打ち消す浮力を生み出すはずがないなんてことは、理系おやじ的には常識ですよね。
だもんで、これはどう考えても『甲賀タイプ』の勝ちです♪
これはまず下記の絵を観てください。
どちらの方向にもグルグル回る伊賀タイプ。
一度片側に回すと、次は反対方向にしか回らない甲賀タイプ。
甲賀タイプの『どんでん返し』の場合、左方向からまず忍者が逃げてきて『どんでん返し』の左側から壁の向こうに逃げます。それを追いかける敵が同じように左側の扉を押すと今度は抜けることができないのです。そう、敵にはそこで焦りが生じるというわけです。
で、敵は焦りながら壁を押し続け、右側からだと押せることにようやく気がつき、「よし」とばかり、勢い付けて右側の壁を押して壁の向こうに走り込んでいくのです。
しかし先に逃げた忍者はこの隙に壁の先の床の板を外していたわけです。だもんで、敵は深い落とし穴へと消えていくというわけです。
かなり怖い『落とし穴』。奥に行くほど広がっていく構造で、なかなか上に上がってこれません。
【結論1】『甲賀』の方が『忍者度が高い』と思う。
実は『みずぐも』と『どんでん返し』だけでなく、他にもいくつか「甲賀の方がリアルだなぁ」と思えることがいくつかありました。
これは是非、皆さんにも確認してみてもらいたいです。
これは入館者の趣味趣向にもよると思いますが、『伊賀』の方が圧倒的にアミューズメント性が高いように思いました。それに町を上げての『忍者の町 伊賀』を盛り上げていて、エンタメ的には伊賀の方に軍配が上がる感じですかねぇ。
ま、施設の改修などもあると思いますから、定期的に忍者の里を訪れてみたいです♪
伊賀は忍者っぽいお土産も豊富だ。
最後に、他の『伊賀と甲賀の違い』を羅列してみます。
伊賀では猿飛佐助は伊賀忍者
伊賀では「猿飛佐助は伊賀忍者“下柘植ノ木猿”がモデルになっている」と言われていました。
この「下柘植ノ木猿」という人は実在人物だったようですねぇ。そして「下柘植」というのは三重県伊賀市にある土地の名で、名阪国道に「下柘植IC」もあるぐらい伊賀では普通に知られている場所です。伊賀における「猿飛佐助の地元意識」は結構浸透しているようでしたよ。
ボクが幼少の頃に買ってもらった忍者の本にも「猿飛佐助のモデルは下柘植の木猿だ」と書いてあったのを覚えています。
甲賀では猿飛佐助は甲賀忍者
ご存知の通り、猿飛佐助は「真田十勇士」の登場人物であり、 その中で「甲賀忍者」として紹介されているので、当然のことながら、甲賀では 「猿飛佐助は甲賀忍者」 として紹介されています。
真田十勇士において伊賀忍者は「霧隠才蔵」であり、甲賀の佐助と伊賀の才蔵のライバル関係がこの物語の「見せ場」でもありますからねぇ。
この「伊賀と甲賀における猿飛佐助論争」については、今後も注目していきたいです♪
伊賀忍者は階層社会
伊賀忍者の社会は「上忍」「中忍」「下忍」という階級社会だったようです。
彼らの支配階級である「上忍」には、有名な「服部」とか「百地」などがいて、 前述した真田十勇士の霧隠才蔵は百地三太夫の弟子ということになっています。
甲賀忍者は合議制
それに対して甲賀は「惣」と呼ばれる組織の集合体からなり、 完全合議制で物事を決定していたようです。
一説には「日本最古の民主主義が甲賀にはあった」とも言われているのですよ!
伊賀忍者は武士階級に
伊賀忍者の長である服部半蔵が徳川家康に仕えていたことから、家康が天下を取ることで伊賀忍者も武士として江戸幕府に組み込まれていったようです。
甲賀忍者は武士にはなれなかった
甲賀忍者は江戸幕府に関して、再三にわたり「武士にしてくれ」と嘆願したのに結局叶えられず、それでも志だけは武士なんだぁ、自らを「甲賀古士」と呼んでいたようです。
そんな感じで、かなり違いのある伊賀と甲賀ですが、これは引き続きもっと調べていきたいですねぇ。忍者は理系おやじのロマンの宝庫ですよ♪