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●稲付川暗渠の出口を探る


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1.かつて稲付川という川があった

『石神井川』に架かる『向屋敷橋』から下流を眺める。どうやらこの辺りが『稲付川』のスタート地点らしいのだが。

現在ではほぼ暗渠になってしまった(つまり蓋を被せられ地下を流れる川となってしまった)稲付川という川があったらしい。

ボクが幼少の頃に住んでいた場所の近くに姥ヶ橋(ウバガバシ)という場所があったのだけど、1970年代初頭には既に姥ヶ橋の下には川は無く(要は暗渠化されていて)、残された石柱の存在が、かつて橋があったことを忍ばせていたに過ぎなかった。

当時、周りから1〜2メートルほど下がっていた『川岸』だったと思われる場所には、古い長屋が建ち並ぶ異世界ムードの空間が存在していた。小学校低学年だったボクは、おっかなびっくりその場所を『探検』していたことを思い出す。

あれからなんと約50年という年月が過ぎてしまったわけだけど、 何気なくネットで調べてみると、かつてそこには『稲付川』という川が流れていたということを知ったのだ。

最近入手した“古い時代の地図が読めるアプリ”を使うと、稲付川は、石神井川が東武東上線を超えたあたりから始まり、そこから国道17号線を越え、そこから蛇行しながら姥ヶ橋に至り、そこで環状7号線を超えて稲付地区に入り赤羽方面へと向かい、埼京線や京浜東北線を超え、さらに進んで北本通を超えて隅田川へと流れていたことが解った。このアプリ、実に面白。(『東京時層地図』というアプリ)

このアプリで幼少の頃のボクが自転車で探検していた道が、実は稲付川の暗渠だったということを知り、50年ぶりにこの地を訪れてみたというわけです♪

向屋敷橋の下には大きな排水口があるが、これが稲付側入口の名残なのか?

ボクの感だと、この“不自然に開いたこの路地”は稲付川がかつてあった名残なのではと思うわけです。

その路地が奥の道路と交わる場所から川の方を眺めた写真。マンホールが並んでいるのも『暗渠サイン』の一つ。

前の写真の場所から石神井川に並んで走るこの道。どうも暗渠っぽいぞ♪

道路に沿った壁面に“かつて配水管があった跡”を発見。これも重要な『暗渠サイン』のひとつ。

無意味に蛇行する道。ボクはもう「ここは暗渠だ」と確信しています♪

写真の右手前の“背中を向けているビル”に注目! これが何の建物かと、ぐるっと回ってみると・・・

先の写真の建物は材木店と判明。かつて川だった場所の岸には材木店が残っている場合が多く、これもまた重要な『暗渠サイン』の一つ。暗渠側は“建物の背中”になっていて、反対側に入り口が作られているのも、暗渠ファンにとっては常識です♪

暗渠の道に戻り更に進むと、見えてきました日曜寺の前に残る『石橋』。

橋の下流から暗渠上流方向を眺めると、確かにかつて川だった感じが漂っている。

石橋から先は智清寺の塀が立ちはだからる。

『暗渠サイン』を探しに智清寺の中に入ってみると・・・。

智清寺の山門を超えたところになんと石橋が残っているではないですか!

橋の近くには『双体道祖神』が建っていた。

智清寺を出て暗渠が続くであろう場所を探す。たぶんここがそうじゃないかな? 暗渠の川下側から川上側の智清寺方向を撮影した写真です。

前の写真の暗渠っぽいところが国道17号線へと延びる場所を探して、グルっと回って国道17号線に出てみる。たぶんここが暗渠だろう。ここも暗渠の川下側から川上側(智清寺の方向)を撮影しています。

前の写真の撮影場所から180度回転して国道17号線方向を見ると、国道の向こうに細い道が! あれが暗渠に違いない!

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2.稲荷台から姥ヶ橋まで蛇行する暗渠

国道17号線を超えて、前の写真の路地に入ってみる。いやー実に暗渠っぽい。と思って近くにいた方(たぶん、ボクと同世代)に聞いてみると、確かにずっと昔に川があったことをご存じでした。

これも重要な『暗渠サイン』。先ほどお話を聞いた方によると、数年前までこの階段の上にあった建物は、実に良い感じの年代物の建物だったとのこと。

その先にも同様の『暗渠サイン』を発見。この路地のことはネットにも書かれていないようなので、これは大発見だなぁ。

路地の先はこんな感じ。右側は『板橋』へと続く『本町商店街』、左にちょっと行くと右側に下に紹介する『縁切り榎』がある。暗渠は真ん中の道だ。

その真ん中の道。幼少の頃、幾度となく通った道で、当時はまったく気が付きもしなかったが、今歩くと、確かに川っぽい。

暗渠道の脇にある路地。昭和40年代初頭には、この路地には石の蓋で覆われた『どぶ川』が流れていたのです。

暗渠道近くにある『縁切り榎』。“別れたい相手と別れさせてくれる神社”だが、この日はカップルが訪れていた・・・。

再び暗渠道に戻り進むと、これまた代表的な『暗渠サイン』の銭湯がある。銭湯も昔は川沿いに建てられたのが普通らしいよ。

幼少の頃には、この蛇行する道の両側には小さな町工場が並んでいたの。町工場も昔は川沿いに建てられていたようだ。

古地図アプリを見ても、稲付川は確かにここを流れているようだけど、この坂をちゃんと水は登っていったのだろうか?

坂の(下から見て)左側には、ボクらが幼少時代『ジャリ山』と呼んでいた「工事用のジャリや資材などが置かれた場所」の跡地に作られた公園がある。奥の方に資材置き場の様相はちょっと残っているけど、ジャリの山はもう無いなぁ。

先の写真からちょっと行くと姥ヶ橋。ちゃんと今でも橋の跡が残っているに感動! まさに50年ぶりの再会!

こうしてみるとかつて橋だったことが一目瞭然。

姥ヶ橋の下はいまでも低地になっていて、この辺りはかなり川っぽい。

先の写真の反対側から撮影した写真。ここから見ると、かつて橋だったことが良くわかる。

暗渠はここで環七を超えて、稲付地区へと進んで行く。

姥ヶ橋交差点にある地蔵尊。姥ヶ橋という名称は、誤って川に子どもを落して死なせてしまった乳母が、自ら責めを負ってこの橋から身を投げて命を落としたことに由来するらしい。なんか切ない。

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3.稲付の閉鎖感に酔いしれながら歩く

姥ヶ橋を超えた稲付川は、現在の歩道橋の階段のあたりに流れ込んできたらしい。それにしてもこの閉鎖感は素晴らしい♪

今でも昭和以前の雰囲気が残り、かつ、ボクの大好きな閉鎖感漂う稲付地区は、散歩・散策の名所になっている。

この曲がりくねり方はまさしく暗渠。幼少の頃、よく自転車で散策した場所なのだ。

『暗渠サイン』として重要な配水管の跡を発見。50年前の記憶が蘇ってきたが、当時はここには太い配水管が確かにあった!

この辺は環七の北側の上十条地域から見るとだいぶ標高が低く、このような階段によって二つの地域はところどころ繋がっている。階段ファンにもたまらない場所なのだ。

空き家のようで、もしかしたらまだ住人がいそうな家が、いくつかあるのも稲付の魅力。

前の写真のすぐ先にある分帰路。おそらく向かって右が暗渠道だ。

高台の十条地区から暗渠道へと続く坂道が奥の方に見えるかな。階段ではなく坂道による接続は意外と少ないのだ。この坂道は『遊鯉園の坂』と呼ばれているが、それは戦前ぐらいまでは稲付川ほとりのこの辺りに『遊鯉園』という名の料亭があったことに由来する。まさに“秘密の隠れ家的な店”だったのだろう。

暗渠道を更に進む。十条地区(十条仲原地区)から続く階段がカッコイイ。このあたり実に複雑な路地が入り組んでいて、迷い込むと結構マジで迷うから楽しいよん♪

道の右側が一段高くなっている。これも『暗渠サイン』のひとつ。

更に進むと車両通行止めによって遮られた小道へとつながる。これも“重い車両が入ると暗渠の蓋が壊れてしまうので”という理由で建てられたもの。重要な『暗渠サイン』だ。

車両通行止めの先はこんな感じ。実に良い暗渠感を醸し出してくれている♪ この先を進むとJR埼京線や京浜東北線などと交わる場所に行きつく。

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4.赤羽地区から隅田川までの最終コース

蛇行しながらJRの線路をくぐる。

稲田小学校の敷地内にある稲付川跡か? 近くの歩道橋の階段から撮影した写真で、決して学校内にヅカヅカと入り込んで、生徒たちを怯えさせながら撮影したものではないよ♪

学校を過ぎると平坦な直線道になり暗渠風味は無くなるが、倉庫や工場が並んでいるのもある意味『暗渠サイン』なのか?

ちょっとした道路を超えたところに見えた車両通行止め。これぞまさに『暗渠サイン』。後でGoogle Mapで調べると近くに同じく『暗渠サイン』である銭湯もあったぞ!

車両通行止めを超えると“暗渠風味満載の道”になる! いやー、ドキドキしてくるなぁ。

前の写真の路地を超えると『北本通』にぶつかる。そして通りの向こうに何やら緑に覆われた場所が!

通りを渡ると見事なまでの“橋の残り香”があるではないか! やっぱり今まで来た道は暗渠だったのだ!

橋の奥を覗くと、ここからは蓋が外された『開渠』になっていた。ここから100メートルぐらいで隅田川へと続くのだ。

開渠部分は立ち入り禁止区域なので、グルっと回って隅田川側へ行こうとして発見した“フィギュアの壁”。このカオス感にすっかりやられてしまいました。

隅田川に出るとこんな風景。写真左岸の真ん中あたりに稲付川が流れ込む場所があるはず。

土手に登り稲付川が隅田川に入り込む直前の部分をのぞき込んでみる。写真ではわかりにくいけど確かに水は流れていたが、どうも隅田川から逆流しているような気がしなくもないなぁ。

隅田川の反対側に渡り、稲付川の流入口を探してみた。緑の屋根の建物あたりが稲付川が流れ込む場所なのだが、水位が高くて流入口が見えない。渇水時にまた見に来たい。

こんな感じで稲付川の端から端まで探索してみました。 暗渠探索をちゃんとやったのは初めてなのですが、体力的にはキツイですが、いやー、実に楽しい遊びでしたねぇ。

上の方でも書いていますが、この辺り、特に稲荷台エリアや稲付エリアは、ボクが50年ぐらい前に自転車で散策していた遊び場でもあるので、とても懐かしかったです。当時はそれなりに路地の繋がりを理解していたので道に迷った事は無かったと思うのですが、今回は上では書きませんでしたが、いろいろな路地に入り込んで、結構、本気で迷ってしまいましたwww

この稲付エリアの閉鎖感や迷路感は最高なんですよ。稲付エリアの『階段・坂道・路地探索』は、後日またやってみたいと思います♪