文豪大町桂月の紀行文『東京遊行記』に 「東京付近の松の奇観はこれに尽きる」と、 善養寺の二本の松の木について書かれているようです(ボクは読んだことないですけど♪)。
全部、田中聡先生著の「東京妖怪地図」に書かれていたことの受け売りなのですが、その「二本の松」というのは、高くそびえる『星降りの松』と横に広がる『影向の松』なのだとか。
そして、その「影向の松」ですが、今も当時と同じ松が「30メートル四方にその枝を伸ばし」残っているというではありませんか! というわけで、東京都 東小岩にある『星住山 善養寺』に行ってまいりました。
影向(ようごう)とは「神仏が一時姿を表わす」という意味だそうです。つまり『影向の松』とは神が憑依した松のことをさすらしいですねぇ。
そういう「異型の自然物に神が宿る」というアニミズムには、心を惹かれてなりません。日本文化の根幹にはこの思想があると思うですよ。
ちなみに、能の舞台などの背景にある松の絵は、 影向の松を表したものらしいですねぇ。これまた驚きです。
で、この本家本元(と言っても良いですよね)の「善養寺の影向の松」は、なんと樹齢600余年なのだそうです。600年前っていったら 日本では「応仁の乱(1464)」の前だし、ヨーロッパ的には「オスマン帝国によって東ローマ帝国が滅ぼされた(1453)」よりも前のことなんですよ!
そんな時代から世の中を見ていたのですから、神さまぐらい宿ってもなんら不思議ではないですよね。
この「影向の松」ですが、枝を縦横に広げたその姿は、近くの小高い場所から見ないと全体像が見えず、そうやって見ると「あまりにも広範囲に広がっていて」とても一本の松には見えないんです。
そして、この松の下に入って直接本体を見ると、ゴツゴツした木肌が持つ不気味な雰囲気に、ほんと圧倒されてしまいました。
当然こんなにすごい「影向の松」ですから、不思議な伝説も伝わってます。それが木の根元にある『影向の石』なのです。
かつて、この寺に忍び込んで不動尊像を盗もうとしたふとどき者がいたそうなのですが、不動尊を抱え逃げようとしたときに、この石に足が張りついて動けなくなってしまったというのです。
まさに「影向の松」が「盗人を捕らえた」ということなのでしょうか? 当然その盗人は捕まり、本尊を無事に取り返すことができました。
「影向の石」の上をよく見ると、なんとなく「人の足型」のような窪みがあるような・・・。
「善養寺の二本の松の木」のもう一本の松が『星降りの松』です。
現存するのは、残念ながら「当時の松」ではなくて、二代目なのだそうですねぇ。本家は昭和15年に枯れてしまったとのことなのです。
で、本家の方の「星降りの松」には、実に「理系心」をくすぐる、次のような逸話が残っているのです。
昔のこの住職をしていた賢融和尚が若い頃、 ある修行を続けていたのですが、それが遂に達成した夜明け頃、「星降りの松」に『コバルト色に輝く星』 が落ちたのだとか。
和尚はこれに『星精舎利』(せいせいしゃり)と名づけ、寺宝にしたらしいのです。
その「星精舎利」を見ることはできませんでしたが、一体なんなのでしょうねぇ。光っていたというからには「放射線」を放つ隕石のかけらだったのでしょうか?
それ以来、この善養寺の山号は『星住山』となったのです。「星が住む山」ですよ! すげーオサレ♪
この「星精舎利」、一度見てみたいですよねぇ。