このサイトでも「石神井川の水源調査」や「石神井川に流れ込む、いくつかの暗渠の調査」をしてきましたが、今回もまた「石神井川ネタ」です♪
前回、水源を調査した「耕整川(仮称)暗渠」が石神井川に流れ込む場所から、グーグルマップ上で350メートルほど下ったところにある「山崎橋」の南岸に、実は下の写真のような「暗渠出口」と思われる穴がポッカリと空いているのです。
そこで今回も「暗渠探しの秘密兵器」である「東京時層地図アプリ」を駆使して、この暗渠の水源を探してみたというわけです。
尚、暗渠の出口が「山崎橋」の近くだったので、この暗渠のもとになった川を「山崎川(仮称)」として記載していきます♪
山崎橋の下流よりの南岸に空いた「これは暗渠出口だろう」と推測される大穴!
「東京時層地図」の約145年前の地図で見ても、確かにここには川が流れ込んできています!
山崎橋には「月っぽい形のオブジェ」が飾られていますが、これって何のモチーフなの?
山崎橋の南岸からまっすぐに伸びる道。この下には今でも「川が流れいる」と考えると、超ワクワクしてきます!
山崎橋からの道は直にこの写真のような「細い路地の区画」へと繋がってきます。
「東京時層地図」の145年前の地図を頼りに暗渠を探っていきます。どうやらここを右折するようです。
前の写真の道を右折して進むと、なんと「行き止まり」に!
前の写真の「行き止まり」の向こう側へとグルっと回って振り返った写真です。
「行き止まり」を背にして進むと、「暗渠マーク」である「車両通行止めの棒」がある路地がありました!
前の写真の「車両通行止めの路地」を進むと普通の道路とぶつかる出口が見えてきます。
前の写真のT字路を右折すると、日大病院的な建物のある高台が現れたので、それを右方向へ迂回する道を進みます。
前の写真の迂回路を進むと写真のような分岐点に。実は「山崎川(仮称)暗渠」もこの場所で二方向へと別れます。まずは写真向かって左方向の坂道を進みました。
坂道は更に二つに分かれています。この辺りになると、145年前の地図だとここで更に「山崎川(仮称)」が分岐しているようにも見えますし、写真向かって右を進んでそこで分岐しているように見えます。
最初に向かって左の坂道を登って行ったのですが、袋小路的に住宅が立ち並んでいて思うような方向に進めないので、再び戻り、向かって右の道を行ってみました。
ちなみに坂道の上部を走る「渡り廊下的な何か」がカッコ良いですねぇ♪
前の写真の右側の道を進むと、更に道が二手に分かれます。
145年前の地図だと、「山崎川(仮称)」には右手の敷地内からの支流もあるようですが、実はこの場所は「看護学校」であり、ここから先は恐らく「男子禁制の秘密の花園」だと思いますので、そこの探索はあきらめて左の道を行くことにしました。
前の写真の左の道を行き、路地をごちゃごちゃと進むと、なんと「いかにも水源だぜぃ」と思われる「井戸のある公園」が現れました。東京時層地図の145年前の地図でもこのあたりは沼になっております。
そんなわけで写真の「大谷口上町児童公園」が「山崎川(仮称)」の水源だと、誠に勝手ながら認定させていただきます♪
「水源であると勝手に認定した場所」の近くを探索してみますと、やっぱりありました「銭湯」! これぞ「暗渠マーク」の最たるものなのです!
※「銭湯」は大量の水を排出するので、大きな下水道が必要になり、暗渠がこれに使用される場合が多いのです。
更に近くに「ウナギ屋」のノボリも! これも川が流れていた証拠です、ってそんなことは無いかww
先ほどの「看護学校へと分岐する場所」へと戻ってきました。
この場所における「現在の地図」と「約145年前の地図」とを比較するとこんな感じ。確かに「看護学校の地基地内に山崎川(仮称)の水源の一つがある」ようです。
再度、「分岐点」に戻ってきました。145年前の地図を見ると写真正面の道の下にもどうやら「山崎川(仮称)の支流」があるようです。
このあたりの現在の地形を見ると、「この支流は山崎川(仮称)に流れ込んでいる」というよりは「山崎川からこの支流に流れ込んで別の場所へ流れつく」と思われますので(ボクの直観♪)、一応「山崎川から山崎橋とは異なった方向へ流れている支流だ」と仮定して歩いてみたいと思います。
ここから右に曲がり一気に下っていきます。
この路地はまさに暗渠っぽいですよね。
工事のため通行止めでしたが、この路地は「パステル宮の下商店街」と直交します。
商店街を抜けてまっすぐと進む暗渠。あれ、この道は確か・・・・
なんと「山崎川(仮称)」の一部は、先日探索した「耕整川(仮称)」と合流し、耕整橋脇で石神井川へと流れ込んでいることが判明しました!