今回探索するのは「東京時層地図アプリ」の「高度経済成長前夜(約65年前)の地図」には「川」として表示されているのに、「バブル期(約35年間)の地図」では表示されていないことから、バブル期の前に「暗渠化」されたと思われる川の水源です。
「石神井川」の「城北公園近く」で「巨大な穴」を発見したのですが、その穴の後方から「緑地帯」が伸びていることから、もしや暗渠では? と思い、いつもの秘密兵器「東京時層地図」で調べてみると、やはり「元は川が流れていた場所」だと判明。
後日、「折り畳み自転車」にスマホを取り付け、早速この暗渠の水源を探ってきたというわけです。
この「暗渠の出口」はかなりデカいです。橋の名前は「桜川橋」。すぐ後方から「桜川緑地」が伸びているので、この暗渠は「かつて桜川と呼ばれていた川」だったのでしょう。
「桜川」の場所は145年前の地図と65年前の地図とでは流れている場所が若干異なっていました。「東京時層地図」で年代ごとの川の位置を調べてみますと、どうやら約115年前ぐらいに川の流れが変えられたようですねぇ。農地開拓などで川の場所を移したのかもしれません。
「桜川緑地」は城北公園の東の端を通っています。実はこの「桜川」、練馬区に入ると名前が「田柄川」に変わるんですよ!
城北公園の北端でグルっと向きを西方向へと変えていきます。今回の暗渠は結構な範囲で「緑地帯」になっているため、実にわかりやすい探索が行えました。
城北公園の西端まで行くと、ここから住宅街の中を暗渠は進んで行きます。この辺りから川の名前は「田柄川」へと変わるようですねぇ。
何度か細い道路によって分断されましたが、「暗渠と解る緑地帯」は途切れずに伸びているので、暗渠を見失うことはありませんでした。
「国道254線(川越街道)」によって暗渠は分断されてしまいます。ただ、道の向こうを眺めると、なにやら「暗渠の続き」が見えるではありませんか!
謎の門の向こうには再び「暗渠風の緑地帯」が伸びているのです。偉いぞ練馬区!
こういうオブジェを作ったいるところも「練馬区の偉さ」が解りますよねぇ♪
今度は「環状八号線」で分断されてしまいました。もはやこれまでか? と思いきや・・・。
歩道橋を渡ると、その先からなんと「緑地帯」が伸びているではありませんか!
こんな表示板がありました! 暗渠の中には今でも結構な量の水が流れる場合があるってことですね。「生きている暗渠」というのはなんか素敵です♪
暗渠は「秋の陽公園」へと突入していきます。この門の内側にはちゃんと川は流れているのでしょうか?
「秋の陽公園」の内側には小川や池が残っていて、これらは「桜川/田柄川暗渠」の水源になっていることは間違いないでしょう。しかし更に上流へと向かっていきます!
小川には野鳥もやってきて、結構「自然な感じ」が漂っているのですよ。
この「滝」は現存する「水源」なのでしょう。ただ、145年前の地図をみるとまだまだ本当の水源は先のようです。
「滝」の先はなかなか「どこが川の跡なのか」よくわからなくなってきています。なんとなくこの道は暗渠っぽいかな?
145年前の地図を頼りに、光ヶ丘の団地をいくつか抜けていくと、白くて高い煙突のある建物によって道は阻まれてしまったのです。
前の写真の「白くて高い煙突のある建物」をグルっと回りこもうと思ったのですが、この辺りは大規模な商業施設が立ち並んでいました。
地図アプリとニラメッコしながら自転車を押して行くボクの姿は、休日の買い物を楽しむニューファミリー達の目にはどう写ったのでしょうかねぇ。ま、人それぞれですので、これがボクの人生なんですよ♪
なんとか「白くて高い煙突のある建物」を回り込むと、その先には「お、もしかして暗渠か?」という道が伸びているではありませんか!
上の道を抜けるとT字路へと出ました。今歩いていた場所は「こひつじ公園」という場所のようです。「東京時層地図の145年前の地図」を見ると、「桜川/田柄川の水源」は写真前方信号の向かって左側の住宅街奥にありそうです。あともう少しだ!
住宅街の中にポツンと残った「もくば児童遊園」がどうやら「桜川/田柄川の水源」のようです。実際の地図ではこの写真の左手奥の住宅の下あたりが水源らしいのですが、ま、この公園を「水源」として認定したいと思います!
今回は「折り畳み自転車にスマホフォルダーをつけ、そのスマホで時層地図アプリを映しながらの水源探査」だったので、とても楽ちんでしたねぇ。
このスタイルだと暗渠出口までの移動と、水源を見つけてからの帰路に、自転車を折りたたんで公共機関を使える、という超メリットもあるのですよ。暗渠探索の方にはオススメのスタイルですよん♪