オタクが漂う秋葉原のちょい奥に神田明神があります。ここにはかつて日本の最高権力に盾ついて反乱を起こした平将門が祀られており、徳川家康が江戸に幕府を置いた際の「鬼門を守る砦」として建てられたのがその発端のようですねぇ。
上の地形図を見ても分かる通り、神田明神は武蔵野台地の東端に位置しており、秋葉原オタク街から見ると「ちょうど崖の上」に存在しているわけですが、 今回もいつもと同様に、この凸凹を上から下から眺めに行ってきたというわけです♪(2024年7月26日)
Photo(1):写真で右奥に延びる「国道17号線」が登り坂になっているのがわかりますか?
Photo(2):マンションの入り口からも、この辺りの凸風味がわかりますよね。
Photo(3):神田明神へと向かう「明神女坂」を見上げた写真。「女坂」と言いながらも結構急な石段です。
Photo(4):「明神女坂」の中段から眺めた「下界」。かつては下町を見下ろし、その向こうの「大川(隅田川)」あたりまでは見えたんでしょうねぇ。
Photo(5):こちらは「明神男坂」。ここを上がると神田明神の境内となります。
Photo(6):男坂からの眺め。地図と見比べながら「かつての展望」を妄想すると楽しいですよ。
Photo(7):神田明神の「正門」から国道17号線方向を見るとこんな感じ。緩やかな坂道になっています。
Photo(8):国道17号線から秋葉原駅方向を見るとこんな感じです。
Photo(9):さすが東京の守護神。ビル街にあって威風堂々としたその御姿!
Photo(10):裏手に回っても、神田明神が凸部にあることがわかりますよね。
Photo(11):ハイソな雰囲気漂う宮本公園。
宮本公園内にある超ハイソなカフェ。
Photo(12):神田明神を北側から眺めたところ。ちゃんと高台だってのが分かります。
Photo(13):この階段を経由して境内に入る人って、どことなくブルジョワ風味の方が多いようです♪
最近の区画整理などで東京の凸凹や袋小路などが、少しずつスッキリしてきてしまっていますが、やはり東京には「大都市の中の雑多感」は残して欲しいんですよねぇ。
そういう意味ではこの辺りは「かなり整然とされた街なみ」なんですけど、それでも要所々々に「昭和的雑多感」がまだ残っているのが救いです。今回撮影した「石段」なんかは、是非ずーっと残して置いてもらいたいですねぇ。
平将門は「日本最大の反逆者」であり、かつ、討伐された後も「最恐の怨霊」となられたお方なのです。そんな凄い方の霊魂を「心霊的防御システムの要」としたのが江戸という街なんですよねぇ。
神田明神下の街を守った「銭形平次」とその子分「八五郎」のお墓も当然あります♪
外国人がかなり目立つ場所でもあるんですよ!
この石像、カッコイイっすよねぇ!!
江戸時代からここに立ち、関東大震災や、太平洋戦争における東京大空襲にも絶えたご神木らしいです。
将門は関東武者ですからねぇ、馬だって荒々しいですよ!
江戸・東京の守護神でありながら、日本人にとってはそこまで人気のスポットではないような気がするのですが、何故か外国人観光客には人気エリアのようでした。特に隣接する神田明神ホールへの来場者の過半数は外国の方でしたねぇ。
ここには和ものグッズなどが販売されていて、彼らにとってはいいお土産屋さんなんでしょう。千代紙とか手ぬぐいとか、あらためて見ると和のデザインってかなりイケてますよね♪
神田明神のおかげで日本美の良さを再認識できたって感じでした。