東京都と埼玉県の県境は、ここを流れる荒川によって武蔵野台地が削り取られてきたため、広範囲に凹地帯が広がっています。そして当然その外側は凸地帯になっているわけです。
今回は荒川の南側の「凸と凹との境目」を歩いてみたのですが、この凸部の先端、 つまり一番見晴らしが良い場所なのですが、そこにはかつて「志村城」という城郭があったようですねぇ。
志村城の正式な築城時期はよく分からないのですが、1400年代には既にあったとのこと。 今回はこの凸凹を歩きながら、600年以上前の時代を妄想してきたってわけですよ♪
今回は上の図の矢印が記載のあたりをうろついてきました。矢印の方向は撮影した方向を指していて、その番号の写真を下記に掲載しています。この地の凸凹を感じ取っていただければ嬉しいです♪
Photo(16):土地の凸凹差により、志村三丁目駅あたりから都営三田線は地表からかなり高い場所を走っています。
Photo(1):志村三丁目駅付近の凹地帯からスタートし、南側にそびえる凸地帯へと進んで行きます。
Photo(2):なだらかな坂が凸部を回り込むような感じで伸びていきます。
Photo(3):右手奥に「志村城山公園」があり、その奥に急な凸部がそびえ立ちます。凸部最上部に志村城はあったようです。
Photo(4):「志村城山公園」と銘打ってありますが、「志村城」そのものはこの奥の超凸部にあったようです。なので正確には「志村城山のふもとの公園」となるのでしょう♪
Photo(5):道路の右側には凸部がそびえたっています。
Photo(6):同じく道路の右側の凸部です。
Photo(7):凸と凹の間で見つけた看板。「合鍵」と「愛カギ」ですよ♪(念のため)
Photo(8):道路の左側にある小さな公園からの眺め。確かにここは凸部です!
Photo(9):いったん北側の凹部へと降りて行きます。両側に凸部があることから、ここが凹部に向かって切り込まれた道であることがわかります。
Photo(10):これまでの坂を降り切ったところから右手に登る「清水坂」という“由緒ある坂道”がありました。
清水坂(「令和五年十二月 板橋区教育委員会」名義の看板(11) より)
この坂は、江戸日本橋から京都方面へと向かう旧中山道の中で最初の難所とされています。慶安二、三年(一六四九、五〇)に作成された絵図には「隠岐殿坂(おきどの坂?)」とあり、文政十一年(一八二八)に完成した「新編武蔵風土記」には、地蔵坂と記述されています。現在は、清水坂と呼ばれています。
清水坂は、武蔵野台地上から荒川低地へ下っていく急坂で、途中で大きく屈曲しています。なお、ここは、荒川と富士山を一望できる名所の一つになっていました。
坂の途中には、下板橋宿と次の蕨宿をつなぐ合の宿、そこには志村名主屋敷や立場茶屋などがおかれ、休憩や戸田の渡しが増水で利用できない時に、待機する場所となっていました。
この周辺地域は昭和三十年代までは旧街道の面影をのこしていましたが、都営地下鉄三田線の開通など、都市化が進み、その姿を大きく変えました。
Photo(12):国道17号線を上から眺める展望! 志村坂上駅(この駅は地下にあります)出口から国道17号線を北上するあたりは結構な下り坂になっていますが、清水坂手前の道を進むと、この坂を上から眺めることができるのです。
Photo(13):この道の先が上の(12)の場所になります。
Photo(15):凸部と凹部との境目なので、こういった階段がいくつかありました。良いですよねぇ「石の階段」って♪
Photo(14):都営三田線が地表へと現れる場所! 清水坂をちょっと戻ると、都営地下鉄が地上へと現れる「出口」を見ることもできます。これらの眺めは今回の探索でのまさに目玉でしたねぇ。
Photo(17):都営三田線の高架を背にして南側を見ると凸部の規模がわかります。結構な凸部なんですよねぇ!
Photo(18):今度は志村三丁目駅の西側から南に登る道を探索していきます。それはそうと、左のお店が実に気になります♪
Photo(19):写真奥の道から坂の角度が増していきます。いよいよ「この辺りの最凸部」へと向かうわけです!
Photo(20):木々の間から駅側の凹部を眺めることができます。う〜む、確かにここは凸部だ♪
Photo(21):坂を登りきると神々しい雰囲気が漂う神社がありました。どうやらこの場所が「最凸部」のようです。
Photo(25):三本足の「八咫烏」!
Photo(22):長久三年(1042年)に熊野の熊野三山を勧請し創建された「城山熊野神社」でした。
Photo(23):境内にある「絵馬殿」です。江戸時代から大正時代にかけて奉納された絵馬が80点以上も展示されています。
Photo(24):後で知ったのですが、この絵馬の中に「寛政七年(1795年)奉納された『参詣図 伊勢太々神楽奉奏(いせだいだいかぐらほうそう)』という板橋区最古の絵馬」があるようですねぇ。次回はちゃんと確認してきます!
Photo(26):なかなか色々な物がここにはあるようです。
Photo(27):伝説の「志村城」はこの地にあったようです!
Photo(28):ふむふむ。
Photo(29):凹部から登り入っていきましたが、正門は南側の凸部側のようです。
Photo(30):この学校があるあたりに、どうやら志村城の本丸があったようです。
Photo(31):学校の横にある児童館の敷地内が良い感じで「山っぽく」なっていました。
Photo(32):凸部を回り込むように駅側へと歩いて行きました。右側が凸部になっているのが判りますねぇ。
Photo(33):来た道を振り返ってみた感じ。この辺りはすっかり凹部です。
Photo(34):志村三丁目駅のホームから南側の凸部を眺めるとこんな感じ♪
Photo(35):都営三田線に乗り都心方面へと進むと、地下に潜るトンネルへと入っていきます。さよなら志村城山凸凹!