以前「日本には外来種の亀しか生息していないのか?」と、あちこちの池や沼、はては水たまりを探し回っていた時に訪れた、東京 早稲田の「甘水園」の裏手にある高台を再訪問してきました。
甘水円のほとりには、江戸時代から有名だった(らしい)「高田富士」という“富士山に行くと縁起が良いらしいけど、実際に行くとなると結構大変だなぁ”という人向けの「仮想富士山」がある場所なのですが、残念ながらこの「高田富士」、現在では“なにかの縁があって開放する以外は立ち入り禁止”になっているのです。
しかしこの場所には高田富士以外にも「富塚古墳」という、人によっては「これが高田富士なんじゃないの?」って思っている「凸スポット」があるので、あらためて今回は探索してみたわけです。
早稲田と言えば都電(今は「東京さくらトラム」と呼ばれているらしい)! 今回は「早稲田」の一つ手前の「面影橋」で下車です。
「東京さくらトラム」が走る道に交差する路地を覗けば、そこにもう「高台らしき凸エリア」が見えてきます♪
ジャーン! ここが「甘水園公園」。念のために言いますが、別にここの池の水の糖度が高いってわけではありません。んで、この池の向こう側が高台になっているのです!
今回探索した「富塚古墳」は「神田川」が削りだした低地の南端にある凸エリアにあります。(国土地理院の地形図)
甘水園の池の南端から緩やかに登っていきます。
登っていく過程を動画に撮ってみました♪
登りきると「水稲荷神社」の境内になります。
本殿の裏手に「富塚古墳」があります。
小さな凸でも登ってみたくなりますよね♪
冨塚古墳の山頂にはどことなく神秘な雰囲気が漂っていました。
古墳の山頂からの眺め。実際にはもう少し「絶景風味」が高いです。
古墳の下部にはちゃんとそれらしき「穴」が空いていました!
どなたが祀られている古墳なのでしょうか・・・ という疑問は帰宅後意外な展開に♪
今回探索してきた「富塚古墳」は、もともとは現在の早稲田大学9号館辺りに合ったもので(元々この9号館あたりまでが隣接する「宝泉寺」の敷地だったのだとか)、昭和38年に「早稲田大学の土地との交換」によって、現在の地に移転されてきたものだったらしいですねぇ。
昭和38年って、大相撲の「双羽黒」「北勝海」「小錦」「寺尾」たち(花のサンパチ組)と同じ年齢なわけで、はたして「古墳」って呼べるのか?って感じですけど、ま、いいかぁ。