今回トレッキングしたのは「新橋駅」の西方にある高台の中でもひときわ高くそびえたつ「愛宕山」です。新橋方向から歩いてくると上のような急こう配の石段が目立ち、なるほど「山」だ、と感じることができますが、なんと「東京二十三区内で最も標高が高い山」なのだとか。
この石段は江戸時代からあったようで、実話か伝説か微妙なところですが、「曲垣平九郎(まがきへいくろう)」という馬術の得意なお侍様が三代将軍徳川家光の目の前でこの階段を馬で登り、山頂の梅の小枝を手折り家光に献上したという逸話が残っています。
平九郎はその快挙により家光からたいそう賞賛されたそうで、そのことからこの石段(男坂)には「出世の石段」というなんともベタな通り名がついているのです。
それにあやかってか、かつてはこの石段を「馬で駆け上がろうとするサラリーマン」が跡を絶えなかった、というのは嘘ですが、この石段を駆け上がる「健康マン」が多数訪れていたようで「トレーニング禁止」の立て札が建てられていましたww
鳥居に向かって右側に云型がいました。これも珍しいですよね。さらにこの云型はボクがお気に入りの「トサカもしくは角付き云型」でした♪
右手に伸びるのは「女坂」と呼ばれている若干緩やかな石段です。
「出世の石段」の上から下を見下ろした図。結構な旧階段です。
曲垣平九郎さんの「顔はめ」。しかし、昨今の「なるべく働きたくないんで、下手に出世などしたら仕事が忙しくなるだけ」というムーブメント(w)のため、ここで写真を撮る人の数が極端に減っているのだとか(嘘)
愛宕山を神谷町方向からアプローチするとこんな感じ。このトンネルの上が「愛宕山山頂」になるわけです。
前の写真の「トンネルの左脇」はこんな感じで「登山道」になっているのです。
「登山道」を登りきるとこんな感じの「山頂」になります。結構広いんですよ。NHKの放送博物館がボクにとっては愛宕山のシンボルですねぇ。
登ってきた階段(登山道w)の反対方向には、なんと「エレベータ」が設置されているのです。ここからも「高低差」が解りますよね。
幕末の時代、西郷隆盛と勝海舟とがここから江戸の町を眺め、この町を戦火で焼いてはならないという考えに至り、「無血開城」となったらしいですよ。
山頂にある「愛宕神社」の主祭神は「ホムスビ(火の神ゆえに、生まれてくるときに母であるイザナミを焼き殺してしまった神様)」ですが、これは明治以降の「神仏分離政策」によるものらしいです。
もともとこの神社は「山岳修験」の総本山である「京都嵯峨野の愛宕山」を本源としており、主祭神は日本の天狗の頂点に立つ「愛宕太郎坊」という天狗だったとのこと。
それが「神仏分離政策」の一環で、「火を操る天狗」を「日本書紀に登場する火の神であるホムスビ」に差し替えたのだという記事が、ボクの愛読書である「東京 消えた山 発掘散歩(川副秀樹 著)」に書かれていました。
いまでは「天狗の名残」は当該神社のお札などに描かれた「天狗のうちわ」ぐらいにしか見出せませんが、山岳信仰ファンとしてはこんな話を知ると、この神社に対する愛着が一層高まるというものですねぇ♪
愛宕神社には「火と対になる」水の神である「ミズハノメ」も祀られています。
この「愛宕神社」ではかつて面白い儀式が行われていたようです。
これはまだ「神仏習合」の時代に行われていた儀式で、毘沙門天の使いがやってきて、人々に無理やり飯を食わせるという「強飯食」というものだとか。
浮世絵にもされているとのことなので、頭の片隅に閉まっておいて、どこかでそんな浮世絵を見つけたらまた紹介したいと思います。
「愛宕山山頂」にある「NHK放送博物館」には観るものがたくさんありますが、今回は特に「幼少時代からのボクのヒーロー」である「ゴンタ君」を紹介します♪
向かって一番右の「赤い鼻で黄色い帽子」のイキモノがゴンタ君です。他のキャラは知りません♪
ボクが最初に見たゴンタ君はこんな形状で、まだ「ゴンタ」という名前すらなく、毎回「登場したときのエピソード」を踏まえ、その場で名前が決められていました。
「ゴンタ君っていったい何者だ?」と思った若い方も多いかもしれませんww。 彼は、NHK教育放送(今は「Eテレ」とか呼ばれているでしたっけ?)でやっていた「できるかな」という工作番組のキャラクターなのです。
興味のある方は是非ググってください♪
こんなわけで「二十三区最高峰の山」である「愛宕山」には、ボクの大好きな「天狗」と「ゴンタ君」がいたというわけです。
この二大ヒーローについては今後もこのサイトにちょくちょく登場してくると思いますので、よろしくです!