西方寺の全景
「招き猫」には色々な伝説がありますが、ここ西方寺に残るのは「薄雲太夫という吉原の花魁を大蛇から守ろうとした飼い猫」というものです。
この薄雲太夫というのは浮世絵にも描かれる程有名だった実在の花魁なのだとか。 こういう「リアルと幻想との融合」を含んだ伝説って、なんか良いですよね。
「お婆さんたちの原宿」として有名な(w)巣鴨の外れにある西方寺にこの招き猫を見に行ってきました。
西方寺の片隅に残る招き猫
あるとき太夫が厠(要はトイレ)に行こうとすると、 太夫の飼い猫が太夫の着物の裾をつかんで放しませんでした。 その時の猫の形相が、あまりにも恐ろしかったらしく、 太夫は大声で助けを呼んだのだそうです。
その声を聴いて駆けつけた男は、 すぐさま脇差を抜いて猫の首を切り落としてしまったのだとか。
すると切られた猫の首は厠の下に飛んでいき、 厠の下に潜んで、今にも太夫にとびかかろうとしていた「大蛇」に食らいつき、見事に噛み殺したということなのです。つまりその猫は「蛇がいるからそっちへ行くな」と太夫の裾をつかんでいたというわけなんですねぇ。
そのことに気が付いた太夫は、 自分を救おうとした猫を殺してしまったことをとても後悔し、それでこの西方寺に猫塚をつくり招き猫の像を祀ったということなのです。
猫に助けられた薄雲太夫は元禄年間(1688〜1704)に実在した方らしいです。
長野県坂城町出身の遊女で、 江戸新吉原京町一丁目の三浦屋に席を置き、 同時代の高尾と並び名妓と称された超有名人で、 本当に猫が大好きだったようですねぇ。
薄雲太夫という名跡は何代か続いているようですが、 西方寺に祀られている方は二代目の薄雲太夫だという説がありました。
この薄雲太夫が「玉」という名前の飼い猫とともに描かれた浮世絵も、 なんと数多く残っていて、ググるとそれらしきものが出てきますよ。
最初、吉原と西方寺がある西巣鴨とはだいぶ距離が離れているなぁ、 と思って調べてみると、この西方寺、もともとは浅草聖天町にあったらしく、 明治24年に現在の地へと移転してきたとのことです。なるほど納得いたしました。
なぜか「高尾之墓」と書かれている・・。理由はよく判りませんが・・・。
都営地下鉄三田線「西巣鴨駅」からすぐです。