「蚕ノ社神社(かいこのやしろじんじゃ)」は推古天皇の時代(604年)に、 広隆寺創建に伴い設立されたという、歴史ある神社です。
この神社がある太秦(うずまさ:映画の撮影所で有名)は、 もともと「渡来系氏族の秦氏」が開拓した場所で、 秦氏が持ち込んだ『養蚕業』ちなんだ社名なのでしょう。
ある初夏の日にこの地を訪れ、 「養蚕業」と「三本柱の神社」との関係を妄想してきました♪
境内の奥の方にあります。三本柱の鳥居近辺は「立ち入り禁止区間」なのがちょっと残念。
上から見ると『三角形』の頂点からそれぞれ垂直に柱が出ているのがわかりますよね。
蚕ノ社神社の祭神は天之御中主神、大国魂神、 穂々出見命、鵜茅葺不合命、瓊々杵尊 となっています。
境内にあった提灯の図柄。『桑』よりは『ケシ』っぽい。日本古代の大麻文化と関係あるのか?
境内にある洞窟のような場所。『蚕が生息する場所』を模っているのか? それとも、神からの信託を受ける場所なのか(ww)
秦氏がはたして(シャレ)「大麻を神事に使っていたか」は判りませんが、 「神聖なる絹布を作るための神への祈りのために」、 もしくは「絹布をより神聖なものに見せて、自分たちを神秘的に見せるために」、大麻を使った儀式を行っていたと仮定してみます。
そのうえで「神との交流」をよりリアルに「体現する」ために、 この「三本柱の鳥居」の中央に座り、 天を仰ぐようにして瞑想しているという姿を想像してください。
三本柱の鳥居の中央に入り天を見上げると、 空が三角形に切り取られて見え、 かなり神秘的なイメージを作りやすいのかなぁ、なんて思うわけです。
この辺りをまとめると、
1.秦氏は、大麻で意識を覚醒させ、三本柱の鳥居を使って天上界と交信し神託を得ていた。もしくは、そのように民衆に思わせていた。
2.秦氏は、三本柱の鳥居を「養蚕」という「神がかり的な事業」のシンボルとしていた。
3.このシンボルである「三本柱の鳥居」を用いて、『絹を作る技術』も「天上界からの贈り物だ」と民衆に伝え、この信仰を通じてこの地を治めようとした。
そんな風には考えられませんでしょうか? ま、これらは夜の京都でしこたま呑んでいた時に閃いたことなので、なんの歴史的裏付けもありませんけどね♪
神社の直ぐ近くを走る路面電車『嵐電』。京都の街並に合う実に良い色しています。
神社の名前をそのまま駅名に付けていることからも、地元密着度合いが解ります。