三宝池の黄金の鞍/石神井公園(東京都 練馬区)

江戸に徳川家康が入るずっと前、南関東地区で勢力を振るっていた上杉家のお家騒動のあおりで、豊島泰経と太田道灌による「江戸を二分する戦(江古田原・沼袋の戦い)」が勃発しました。

その結果、それまで東京の北西部を治めていた豊島泰経は歴史から姿を消すのですが、地元練馬区では「泰経の壮絶な最期に関する伝説」が残っていると聞き、石神井公園をブラブラと探索してきました。

黄金の鞍をつけた白馬に乗り自害した豊島泰経伝説

勝ち目がないと悟った豊島常安が、 煌びやかな鎧兜を纏い黄金の鞍をつけた白馬に跨り入水自殺をした と言われる三宝寺池。

史実では「江古田原・沼袋の戦いの後、石神井城を焼き払われた 豊島泰経は、平塚城(東京北区)に逃げ込み、 そこから足立方面へ逃げていった後、行方不明になったらしいのです。

ただ、それでは地元民としては納得いきませんよね。「俺たちのお殿様の最後はもっとカッコよく歴史に刻みたい」という気概があったはずで、そうした背景に生まれたのが「黄金の鞍伝説」だったのでしょう。

江戸時代の文献では「晴れた日には三宝寺池の底に黄金色に輝く鞍が見えた」と書かれているようです。さすが江戸っ子、そのへんは抜かりがありませんよね♪

また、泰経の後を追うように、その娘の照姫も父を追って三宝寺池に身を投げたという伝説も残っており、今でも照姫を忍んだ「照姫まつり」が開催されています。 毎年、照姫、豊島泰経、奥方、総勢約100名もの豊島軍を一般公募・公開オーディションで選考して「照姫行列」が行われたり「舞台演技 照姫伝説」が上演されるらしいです。

姫塚。照姫の死を憐れみ太田道灌が建てたという伝説が残っています。

殿塚。こちらは泰経を祀っているのですが、姫塚と比べるとどうしても「とってつけた感」が否めません。

今も東京は一つじゃない

前述したような戦の結果、南武蔵国は太田道灌が治めるようになり、さらに「江戸を開いたのは太田道灌だ」と言われるようになったというわけです。

しかし太田道灌に街を蹂躙された地元住民のDNAの中には、アンチ道灌イズムが根付いていたのでしょう。ボクが生まれるちょっと前に東京で開催された「江戸城築城500年記念祭」にぶつけるように建てられたのが上の「江古田原沼袋古戦場碑」なのです。

「江古田原・沼袋の戦い」は凄まじいものだったらしく、 戦後500年後の昭和初期のこの辺りの区画整理を行ったとき 「リアカー3台分の人骨」がでてきたらしいのです。

その時の戦死者の霊を祭る延命寺像が、今もマンションの一角に残っています。

延命地蔵のすぐ近くにある公園にある豊島二百柱社。 「住宅街にあるのどかな公園」の気分をぶち壊してくれる パワーがみなぎっていますねぇ。

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