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●毘沙門天に退治された大狸


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1.多聞寺にまつわる大狸伝説

茅葺の山門は墨田区内最古の現存建造物で墨田区の指定文化財です。

大狸が暴れまわった場所に建つ寺

隅田川と荒川にはさまれた鐘ケ淵という場所に、 毘沙門天を祀る多聞寺(たもんじ)というお寺があります。ここはは別名『狸寺』と呼ばれているのですが、その理由というのがちょっと変わっているのです。

もともとこのお寺は「不動明王」を本尊とする大鏡山明王院隅田寺だったらしいのですが、後述するように 天正年間のときに本尊を毘沙門天に変え名称も多門寺へとなりました。

その際に参拝者の便をはかろうと、 近辺の雑木林の伐採や整地が行われたのですが、その結果、住処を奪われてしまった『大狸』が、腹いせに大入道に化けて大地を震わせたり、 土砂を降らせたりして暴れだしたというのです。

そこで、毘沙門天の使者である善尼子天道(ぜんにしてんどう)が登場し、その大狸を退治しました。

翌日、雌雄の大狸の死骸を発見した住職が憐れに思って作った塚が、下の写真の『狸塚』なのだそうです。

なぜ本尊が変わったのかというと

「お寺の本尊が変わる」なんていうことはかなり大きなことなので、恐らく「何か特別な事情があった」のだとは思います。それを詮索するのも楽しいのですが、まずは「通説」を紹介します。

不動明王が祀られていた時代、第41代住職の鑁海和尚(ばんかい)の夢枕に不動明王が立ったそうです。で、不動明王が言うには「空海との約束でこの地にやってきたが約束の期間が過ぎたので西国に行き のんびり過ごすことに決めたぞ。交代の者が明日やってくるのでヨロシク」という感じだったそうです。

で、住職が目を覚ますと、本尊の不動明王像の姿は消えていました。

そこへ、空海の作である毘沙門天像を持った老人が訪ねてきて、 「夢枕に毘沙門天が現れ、空海との約束があるので東方に連れて行け、と告げられたので、この毘沙門天像を持ってきたぞ」と言ったそうです。

それ以来、その毘沙門天像は多聞寺に祀られるようになりました。時代的には天正年間(1573−92年)の頃の話だそうです。

是非、皆さんの考察も聞きたいです。

この伝説は「不動明王が去り毘沙門天が来る」「狸が暴れて毘沙門天によって退治される」という二つの話が入っているのですが、「どんな歴史が反映されているのか」とても気になるところです。

本尊が変わったのは「この辺り一帯の権力者が変わり、新しい権力者の信仰神が祀られるようになった」ことを反映しているのかもしれませんし、狸が毘沙門天によって退治されたのは「仏教の普及によって土着信仰が弾圧された」ことの表れかもしれません。

上の伝説では「本尊の入れ替わり」「狸が退治される」という順番ですが、これも「その昔、狸が仏神によって退治された」という話があって、それが天正年間におきた「本尊の入れ替わり」の後話として付け加えられた可能性だったあると思います。

そして「悪いことをした狸」なのに「祀られた」というのは、単なる「祟りを恐れて」なのかもしれませんが、もしかしたら「仏教伝来により禁止された土着信仰に対する、住民の隠れた信仰」の表れなのかもしれません。

ま、すべてボクの妄想なので全く根拠はありませんが、この辺りに詳しい方のご意見は是非、伺ってみたいですねぇ。

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2.狸や毘沙門天は「鉄」の象徴?

狸と毘沙門天の共通点

毘沙門天(四天王の中では多聞天と呼ばれています)は軍神としての位置づけもあり、戦いの象徴である剣=鉄を操る神でもあり、 そこから鉱山の発見や発掘に関わる神でもあるらしいです。

また、鉄を精錬する際のフイゴには、狸の皮が使われていたらしく、鉱山が多かった佐渡島では狸や狢の養殖が盛んだったらしいというトリビアもあるようですねぇ。

文福茶釜(ぶんぶくちゃがま)などはまさに狸と鉄とが結びついた話ですし、鍛冶屋が鉄を叩いて精錬する音を『狸ばやし』と言われることもあるようです。

つまり、狸も毘沙門天も同じ鉄器に関連する信仰対象ということです。

「鉄の製造こそ近代文明の始まりだ」ということもよく言われていますし、鉄の剣はまさに権力の象徴ですからねぇ。その視点で狸や毘沙門天を見てみると、結構面白そうです。

製鉄を巡る権力闘争を反映した話?

同じ「鉄器信仰」の象徴である狸と毘沙門天とが何故、戦ったのか? 何故、狸が毘沙門天に殺されるという伝説が残ったのか?  ま、役には立たないですけど、こういうことを考えるのって、ものすごく楽しくないですか♪

単純に考えれば「それまでの日本古来の鉄器信仰が、仏教伝来によって、 仏教的な鉄器信仰に置き換えられた歴史を象徴している」ということになりそうですね。

似たような話に「スサノオのヤマタノオロチ退治」があります。

「ヤマタノオロチを退治したスサノオ」「ヤマタノオロチの死骸から草薙の剣が出てきて、後にそれが日本の最高権力の象徴になった」という話は有名ですので、ご存じの方も多いと思いでしょう。

これも「かつて行われた、山頂にためた水を放流することで鉄鉱石を削りとる採掘方法において、その水の流れを遠くから見ると、まるで沢山の首を持つ蛇のように見えた」という観点で、「ヤマタノオロチ=古代の製鉄文化を持った勢力」であり、「それを退治したスサノオとは、旧勢力を制圧した新勢力の象徴」だという歴史を表現したものだとも考えられますよね。

鉄を制するものが国を制する

「ヤマタノオロチの死骸から出てきた剣が最高権力の象徴になった」というのも、「各地で鉄を製造していた小さな勢力を、順次制圧していき、最終的に鉄を独占したことによって、日本に王が誕生した」とも考えられそうじゃないですか。

この考えから「狸を倒した毘沙門天」という話は、「仏教伝来後、仏教を背景にした勢力が日本の鉄器製造勢力を制圧し、統一していった」ことの表れなのかも♪

こんなことを考えると、「狸と毘沙門天とのおとぎ話」も一人で酒を呑むとき「良い肴」になりますよね。

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3.鐘ヶ淵の名前の由来

夕顔姫の伝説

鐘ヶ淵の名前の由来は このあたりに大きな鐘が沈んでいるという言い伝えからきているようです。

これには諸説があるようですが、「沈んでいるのは夕顔観音の鐘だ」という説が一番面白そうですね。

夕顔観音(瑞応寺:東京都足立区扇 1-5-37)というのは、千葉常胤(つねたね)の息女「夕顔姫」の菩提を弔うために建立した寺院です。天分21年(1552年)に千葉一族が北条氏の軍門に下った際に、 北条氏は戦利品として夕顔観音の鐘を持ち去ろうと 鐘を船につみ隅田川を降っていきました。

その時、鐘が少女がむせび泣くような音で鳴り始め、川は荒れ凄まじい風雨となり、ついには鐘は船ごと沈んでしまったというのです。

鐘は本当に沈んでいるのか

この伝説に興味をもった徳川吉宗(在職:1716年 - 1745年)がこの鐘を引き上げようとしたらしいです。彼はマジで「暴れん坊将軍」だったようですね♪

伝説では「江戸中の娘の髪の毛を集めてつくった毛綱を川底の鐘につなぎ引き上げたのだが、鐘が川面に現れたとたん毛綱が切れてしまった」らしいです。てことは「鐘は本当にあった」ということですかねぇ?

ま、無茶なことを言う将軍様をなだめるために作った方便だったような気もしますが♪

この鐘は明治時代までは「天気の良い水が澄んだ日には 川底に見ることができた」なんて言われていますが、これは「東京人の粋」が作り出したお話なのではないですかね。以前紹介した「黄金の鞍が沈んでいると言われる三宝寺池」と同じテイストの逸話だと思います。

こういう話は嫌いじゃないですけどね♪

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4.川の氾濫と鐘の関係

多門寺に設置されている東京大空襲で被災した浅草国際劇場の鉄骨。

多門寺には大蛇の伝説もある

前述したように、多門寺の大狸は「土砂を降らして暴れた」ということですが、寺の近くにあった大きな池の大蛇も、住処を追われた腹いせに毒息を吐き出して参拝者を襲ってきたという伝説もあるようです。

そこで毘沙門天は水神に頼み、大蛇をおとなしくさせたとのことですが、ここにも「鉄の象徴である毘沙門天」が「水を象徴する蛇」をおとなしくさせた、という内容が表れています。

どうやらこれは後述するように「五行陰陽道」にも関係がありそうですねぇ。

五行陰陽道における金属と水との関係

鐘ヶ淵の言い伝えのように、 川底に沈む鐘の話というのは結構いろいろなところに残っているようです。これは鐘をつかって川の氾濫を鎮めたという信仰と関係があるようです。

この信仰だと、上で書いた夕顔寺の鐘の話は「鐘が川を氾濫させた」ではなく 「氾濫していた川は、鐘が沈むことで静かになった」と捉えるのでしょう。

先ほども書いた中国の陰陽五行説によれば“金と水は「相生」”、 つまり金の強弱がそのまま水の強弱にもなるという関係です。だから「金を沈めて水を鎮める」という流れになるらしいです。

多門寺の大狸は死後、土に埋められましたが、これも、金属に関連する狸を埋めて(沈めて)、川の氾濫を沈めようとした、ということでしょう。

蛇は水の化身ですから、大狸と大蛇の逸話を「狸を土に埋めたら蛇が大人しくなった」と捉える考え方もあるようです。

当時、現在の足立区近辺は大川(隅田川)の氾濫が頻繁にあった場所だったわけで、それゆえ川を鎮めるために、金属に関係のある『狸』や『毘沙門天』を 祀っていたのだろうと思います。

今度、じっくりとこの辺りの「鉄器信仰」を調べまわってみたいですねぇ。