新河岸川に気になる「水門」を発見。
東京都と埼玉県の境を流れる「荒川」の南側に「新河岸川」という支流があります。
荒川と新河岸川とで囲まれた地区は、古くからある町工場や倉庫が並ぶ「浮間」と呼ばれる土地で、ボクが10代前半のころまで、普通にザリガニ取りやイナゴ取りができた場所でした。ボクの親戚が住んでいたので、幼少のころから散歩したり借りた自転車で「探索」したりしていた場所でもあります。
現在では護岸工事も施され、整備された少年サッカー場や野球場などがある新興住宅地になりましたが、まだまだ「昭和」が残っている街で、ボクは今でもたまに探索に出向いているのです。
新河岸川には流れ込んでくる支流が多く、頻繁に「水門」が観られます。以前も「白子川」という支流の水源を探索してきましたが、今回は「水門は見えるが川は見当たらない」という「隠された川(ま、暗渠ですよね)を見つけたので、その水源を探索してみることにしました。
タイトルでは「出井川」と記載しましたが、この段階ではまだ川の名前は判明しておりません。果たして「水源」は見つけることができたのでしょうか♪
川の向こうに渡り水門の裏に回ってみたが、この段階ですでに「暗渠化」されていて、川の存在は見えません。
「街探査の七つ道具」の一つ「東京時層地図」で「約65年前」の地図で見てみると、その時代にはちゃんと「川」があったことが分かります。
いきなりの暗渠! 最初の数メートルぐらいは「川」を残して置いて欲しかったぁ♪
すぐに道路によって切断されますが、向こう側にもちゃんと暗渠は続いているようです。
ただの道路のようですが、舗装の感じからちゃんと「暗渠シグナル」は感じ取れますねぇ。
中山道(国道17号線)で再度切断。暗渠探査の「あるある」ですが、横断歩道は「暗渠に沿って作ってほしい」と思う次第です。
古地図で見ると65年前はこの辺りの中山道は井出川を「橋」で越えていたようです。
橋の欄干が今でも残っていました! これぞ暗渠探査の醍醐味です。
緑地帯になって街並みを縫っていきます。
またも道路で切断。しかし向こう側にちゃんと続きがあるようです。
暗渠の近くに「町工場あり」。これも「暗渠サイン」の一つでしょう。
暗渠は道を超えて、地下鉄「志村三丁目」駅の「自転車置き場」へと伸びていきます。暗渠の利用方法としての「自転車置き場」もまた定番ですよね。
自転車置き場を過ぎるとまた道を超えていきます。以前はこの辺りは橋の多い場所だったんでしょう。
右手に「チョコレート」の文字が見えますか? なんと「手作りチョコレート」のお店なのです。暗渠とチョコレートとの素敵なハーモニー♪ 奥に見えるのは「首都高5号線」の高架です。
上の写真の奥の方の拡大図。段差があることが分かりますよね。「段差」を見つけると嬉しくなるんですよ♪
首都高5号線を越えると、左に大きくカーブして住宅街へと入ります。左手に見えるのは「うさぎ屋」という看板。シャッターが下りていたので確認はしていませんが、兎を売っているのではなく、もしかしたら「足袋」のお店かな?
蛇行して再度、首都高5号線の高架下を流れるようです。ここからしばらくは「井出川」は首都高5号線の高架下を流れていくようです。
しばらく行くと左手に「大きな池」が見えてきました。ここが「水源」なのかな? と思いましたが・・・・。
65年前の古地図を見ると、どうもこの池は「水源」では内容です。
見次公園の池はこの近辺ではかなりインパクトがありますねぇ。ここが「水源」だったらドラマチックだったんですが・・・。
ちょっと行くと、左手に「銭湯」が! 銭湯は重要な「暗渠サイン」の一つです。銭湯は大量の水を排出するために、水の排出場所として暗渠を利用するようなのです。
65年前の古地図を見ると、銭湯の少し先で川は終わっているのです。ただ、この辺りには「水源らしきもの」は見当たらないし・・・。
高架下の両脇にはこのような段差があるんですが、ボクの第六感が「進行方向左手の高台が怪しい」とささやきだしたので、登ってみることになったのです。
更に段差を発見! ここも登っていきます!
高台を登っていくと眼下に公園を発見。ここが怪しい!
ついに「水源」を発見!
ここにきて初めてこの川が「井出川」と名前だと知りました! なるほど由緒ある川のようですよ。
どうやらこの井戸&池が「水源」の中の「水源」のようです!
帰宅後「井出川」を調べてみると、井出川は昭和30年ぐらいまでは水量も多く、子供たちにとっても格好の遊び場だったようですねぇ。今回歩いたルートは「東京都北区から板橋区にかけて」という感じなのですが、まだまだ昭和が残っていて、散歩ルートとしてもかなり楽しめましたよん♪