白鬚橋の名前は東岸にある、猿田彦を祀る「白鬚神社」から付けられたらしいです。この白鬚神社は琵琶湖湖畔にある白鬚神社から951年に御分霊されたもので、それ以来、東向島から押上一帯の氏神様として地元に愛された神社なのだとか。
白鬚の「鬚」はたまに「髭」と書かれることもありますが、「アゴひげ」を表す「鬚」が正しく、これは祀られている猿田彦が白いアゴひげを蓄えていたことに由来しいるとのこと。(ウィキペディアって凄いなぁ♪)
念のために書きますと猿田彦とは、天孫降臨してきたニニギノミコト(天皇家の先祖)を地上へと導いた神様であり、手塚治虫先生の「火の鳥」をはじめとしたいくつかの作品に登場する「鼻が大きな男=たいてい名前は「猿田」)は、この猿田彦がモデルになっています。(詳しくは一連の「火の鳥」を読んでね♪)
もともとの白鬚橋は1914年(大正3年)に地元の人がお金を出し合って架けた木の橋らしく、関東大震災での崩壊の後、復興事業で今の橋が架けられたのだとか。冴えわたる青空をバックにしたときの白鬚橋は、その白が強調されてとても見事なんですよ!
白鬚橋の西側 は南千住へと続き、途中に「泪橋交差点」があります。
今ではこの橋は無く、橋が架かっていた「思川(石神井川)」も暗渠になっていますが、昭和30年代生まれのボクはこの地を訪れるたびに、橋の下にあったであろう「丹下ボクシングジム」探したくなります♪
かつて「山谷」と呼ばれ、現在も安価な宿屋が立ち並んでいるこの辺りは、ご想像通り、ちょっとした緊張感が味わえる場所です♪
白鬚橋の西側は、永井荷風の「墨東奇譚」の舞台となった「玉ノ井」があった場所です。
玉ノ井は戦後まで「私娼窟」があったところで、津川雅彦と墨田ユキ主演の映画「墨東奇譚」では、入り組んだ迷路のような細い路地で、雨が降ると水が溢れるような場所として描かれていましたっけ。
戦後は「カフェ」の街になったらしいですが、今でも細い路地が残り、路地に入ったら行き止まりだった、という「最高の経験」ができます。「行き止まり」は「男のロマン」です♪
かつての「玉ノ井駅」は、今では「東向島駅」に代わってしまい、「玉ノ井」という地名は現在は存在しないのですが、街中には「玉ノ井」の文字が今でも残っていますよ。永井荷風の気分でうろつくと最高に楽しいです。 2020.08.18
ある意味「聖地」とも呼べる「玉姫公園」。「海賊王」の旗が嬉しくなりますねぇ。どういうコミュニティが作られているのか興味津々です。
公園の中に入るには結構勇気がいりますが、ジョーが紀ちゃんに「何も残らない真っ白な灰になる」という話をした場所は、もしかしたらココだったのかもしれません♪
泪橋交差点近辺で見つけた「映画喫茶」。映画喫茶という名称自体がとても心に染みますねぇ。
このゴッタな感じが山谷ぽいです。
昼間だったので開いている店は少なかったのですが、開いていたとしても入るにはかなり勇気がいりますねぇ。
江戸のダヴィンチと言われた(誰に?)平賀源内の墓。白鬚橋東側のすぐ近くにあります。
平賀源内の墓の内側。「エレキテル」から「土用丑の日のウナギ」まで実に幅広い活躍をした先生のエネルギーを受け継ぎたいものです。
「お化け地蔵」と呼ばれる、かなりデカいお地蔵様。別に「化けて出る地蔵」というわけではないです。
我が子「梅若」を人買いにさらわれた母親が、息子を探し求めてこの地にまで来たけど、その息子はすでに重い病にかかりこの地に捨てられ世を去ってしまったことを知り、髪をおろして妙亀尼と称し庵をむすんだ、という「梅若伝説」が残る「妙亀塚」です。
山谷地区で見つけた「カレーの店」という暖簾。カレーに特化した店をこの場所で見つけるとは!
近くで見つけた「カレー粉調味料」の店。もしかしたら山谷とカレーとは何か関係があるのか?
山谷地区にはこの日も昼間から開いている飲み屋はあったのですが、やっぱりちょっと入るのに躊躇しますよねぇ。で、「カレーの店」なら大丈夫だろうということで、この店に入ってみました。
ご高齢のご主人が一人で店内のオープンキッチン(w)でテレビを見ていましたが、ボクが入店すると丁寧に対応してくれ、まずは一安心。店内メニューで見つけたカツカレーを頼みました。
おそらく息子さんと思われる方が、店の奥でトンカツを揚げるシステムで、ご主人が彼からライスとトンカツが乗った皿を受け取り、カレーポット(意外!)と一緒にボクの元へ。
昔ながらのカレーですが、スパイスが意外と効いていて、「日本のカレーの領域」を守りながらも「ちゃんと戦っている」という感じですかねぇ。 食後にはサービスでアイスコーヒーもついており、満足度はかなり高いですよ♪
山谷に来たのでどこかに入りたいけど、飲み屋はちょっと怖いなぁと思う人には、お勧めの店だと思います。
例の「流行り病」の性なのか、残念ながら閉店していた「玉ノ井カフェ」。私娼窟以降の玉ノ井自体はカフェの街だったらしいので、当時をしのぶ意味でも是非入ってみたい。
おそらく旧玉ノ井時代はこの辺りが中心だったのでは? 入り組んだ細い道がまだ残っていて、飲食街もまだ残っている。流行り病が落ち着いたら行ってみたい場所だ。
時代を感じさせる建物がまだまだ残っているのが嬉しい。この路地にたどり着くまでに結構苦労をしました♪
駅に近いおそらくメイン通りにもこんな味のある香りが残っているのが、さすが東向島ですねぇ。
旧玉ノ井の「私娼窟」のイメージを探しにこの場所を探索したのですが、当たり前ですがそんな場所はもう残っていはいませんでした。
しかし、込み入った路地はまだまだ健在で、プチ探検をするには最高の街並みだと思います。ボクが幼少の頃は、ボクの地元もこんな感じだったですねえ。これこそ東京の原風景なのですよ。
「流行り病」が治まったら夕暮れ時にこの街を訪れて、若き日の墨田ユキさんのような女性と巡り合いたい気分です♪