隅田川の「橋」の両側を歩いてみる |けさらんぱさらん|

●隅田川の「橋」の両側を歩いてみる


江戸城を作った太田道灌や、 300年も続く大都市の礎を作った徳川家康らが最も力を入れたことの一つとして 治水工事がよく挙げられます。当時の東京(江戸)の東側はほぼ湿地帯で、 河川の氾濫をどう防ぐかが、都市づくりの要だったようですねぇ。

特に当時の「隅田川」(当時は大川)はまさに「荒ぶる川」で、 先人たちの治水工事によってはじめて、 その後の江戸市民の生活を支える重要河川になったようです。

また、隅田川によって住民の生活が分断されていたことにより、 「東京人にとっては異国との境界線」のイメージが持たれていた時期もあり、 昭和初期に書かれた永井荷風の『墨東綺譚』でも、 隅田川以東を「浮世離れした世界感」を持つ場所として描かれています。

現在ではこうした感覚は無くなってきましたが、気分だけでも荷風時代にトリップして、江戸・東京を支えた隅田川近辺を、それに架かる26本の渡橋可能な橋を基準にして探索していきたいと思います。

現在までに探索した橋

石神井川