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●「蔵前橋」の両岸を散策する


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1.蔵前橋の東側と西側

蔵前橋の西側は「蔵前」です。江戸時代には天領地からの集めた米を収蔵する御米蔵(浅草御蔵)が立ち並んでいたことに由来するようです。
 かつてこの地は大川(現隅田川)岸の湿地帯で、鳥越神社付近にあった小高い山(鳥越村)を切り崩し、その土石によって埋め固められ御米蔵を建てたのだとか。

この場所に「米蔵が立ち並んでいた」時期はいつごろまでだったのでしょうか?

いまでも倉庫のような建物は残っていますが、どちらかといえば「おもちゃ問屋が並ぶ街」というイメージの方が強いですかね。

そして昭和30年代後半生まれのボクにとってこの地は「かつて蔵前国技館があった場所」です。いまではその名前すら知らない世代の方が多いでしょうけどw

蔵前橋の東側は「本所」ですが、池波正太郎の「鬼平犯科帳」によれば(江戸時代の本所地区は)「田園の風趣と、新開地の猥雑さが入りまじり、本所に住む御家人といえば、幕臣の中でもごく軽い身分の上に役目もなく、将軍おひざもとの江戸でも“川向う”とよばれる土地に住む気楽さから、悪事に首を突込むことなど平気な連中が多い。」と説明されていますww。

当然今では「やさぐれた御家人が住む街」のイメージは全くなく(当たり前だ)、「相撲部屋が多く存在する街」となっています。 2020.06.28

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2.蔵前橋ものがたり

 大川(隅田川)にはもともと橋は架かっておらず、関東から東北方面へ移動する際の難所となっていたようです。

「前九年の役征圧のため源頼義、義家父子がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り大川を渡ることができ、それを白鳥明神の加護とたたえ、鳥越大明神を建てた」という話も残っています。

蔵前橋ができる前は、「富士見の渡し」などの渡し舟が存在し、「鬼平犯科帳」でも、船に乗り大川を超え、現在の両国橋よりさらに南にある「竪川」に入り、そこから「大横川」に入って北上し、法恩寺の脇にある「元鬼平が剣術を習っていた道場跡地に咲く桜」を見に行くシーンが出てきます。

蔵前橋の着工は関東大震災後の1924年(大正13年)9月で、竣工は1927年(昭和2年)11月。かつて存在した米蔵に由来する、稲穂を連想させる「黄色」に塗られた「3つのアーチ」を持った橋です。

蔵前橋のすぐ近くに「首尾の松」という松がありますが、これは大川を北上しそのまま日本堤の方に入り吉原に通う人が、この場所で「吉原の遊女とうまく楽しめるように」と祈願したから名付けられた等の、ゆる〜い言い伝えが(w)残っています♪

蔵前橋には蔵前国技館を連想させる「力士のレリーフ」がありますが、よく探すと「江戸時代の舟遊びのレリーフ」もありますが、上のような理由からなのでしょう。

現在の「首尾の松」全景

「首尾の松の鉤船 椎木の夕蝉」

舟遊びのレリーフ

力士のレリーフ

蔵前橋以北の橋はカラフルに塗分けられていて、ひとつ北の厩橋は緑色。なんのモチーフでこの色にしたのか? 野生馬が駆け回る草原の色か?

そのまたひとつ北の駒形橋は青。この色の理由はわからんけど、よく晴れた日に隅田川に架かる青色の橋は、とても清々しいなぁ。

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3.西側はおもちゃ問屋の街

団扇や扇子が売られている。外国人には人気がありそうだ。

ボクが幼少時代駄菓子屋で売っていたような玩具。まだあるんだね、こういうの♪

ここで大量の花火を買って一人で隅田川のほとりで「一人花火大会」をしていた人を知っています♪

問屋ではないけど、規模は問屋感かな。ボクにとって詳しくない世界ではあるけど、魂がちょっと揺さぶられるのも事実かも。

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4.蔵前で米を食らう

蔵前で「米」を食べたいなぁと思って探していたら偶然見つけた。お弁当や米の販売だけでなく店内飲食もできる。

玄米のお弁当を買って、良く晴れた空の下、隅田川テラスで食ってやりましたよ♪

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5.東側は相撲部屋の街

強くて怖くてカッコ良かった大横綱の部屋。

半地下の入り口が個性的。

入り口の硝子がちゃんと八角形。

車で見えずらいけど、確かに高砂部屋だった。

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6.本所散策の〆に湯につかる

本所といえば『鬼平犯科帳』ですねぇ♪ 平蔵が「本所の銕」と呼ばれていたころに住んでいた場所や、彼が岸井左馬之助とともに剣術を習った高杉道場は横川沿いにあったようです。

左の写真(法恩寺近辺の大横川沿い)の場所が、若い頃の平蔵と左馬之助がほのかに憧れていた地主の孫娘『ふさ』が住んでいた『桜屋敷』があった場所だと思います。

ネタバレになるので“その後の『ふさ』”については書きませんが、平蔵と左馬之助にとってこの場所は「青春の思い出」と「空しい現実」との象徴である「満開の山桜」が咲いていた場所だったのです。

右の写真は『駄菓子屋』です。店のガラスに「駄菓子とは昔を忍ぶ嗜好品」という川柳が書いてありました♪

そこまでしみじみとした感情はないですが、幼少の頃は確かに毎日、10円玉を握りしめて通った思い出はありますねぇ。

店内には男子中学生たちがたむろしていましたが、これはボクらの時代ではあまりなかったかな。

そして本所散策の〆は『銭湯』です。木の札の下駄箱が嬉しいですねぇ。

温度の違う湯舟や薬湯、ジャグジーなど湯舟の種類が豊富で、こじんまりとしながらもバライティー感のある銭湯でしたよ。

当然、湯上りには腰に手を当てて『フルーツ牛乳』を飲んだのは言うまでもありません♪