ボクは以前、自分の運動不足を解消する意味で、石神井川の起点を目指して自転車で走ったことがありました。かなり紆余曲折し、「小金井カントリー倶楽部」の脇に建つ「石神井川上流端」の立札を見たときは、ちょっと複雑な気持ちでしたねぇ。だってこれを見るまでは「ある一点から勢いよく水が噴き出している場所」があるのかともっていのに、なんとなく水が溜まっている溝があっただけだったのですから。
その「上流端」からは水路のようなものが嘉悦大学に向かって伸びており、後でグーグルマップで見てみると、嘉悦大学内部の建物の脇にある、湿地帯のような場所がその先にありました。恐らくそこから染み出た水が石神井川へと流れているのでしょう。
ま、それほど感動的とは言えなかった(ただ疲れた)道のりでしたが、今回は、そこを徒歩で行こうと思ったわけです。
ボクの痛風もだいぶ良くなり、先週の日曜日には「赤穂浪士が歩いた道のり」をのらりくらりと蛇行しながら約15キロ歩いたにも関わらず、痛風の痛みは起きませんでした。なんとなく「痛風は卒業できた」のではないか? と思った次第であり、更にそれを確かめるために、本日は「石神井川が隅田川に流れ込む地点」から「石神井川上流端」までの、約25キロを歩いて見たかったのです。
言ってみれば「石神井川の逆走」ですが、大まかなルートは、「堀船」「王子」「板橋」「城北中央公園」「豊島園跡」「石神井公園の南側」「武蔵関公園」「小金井カントリー倶楽部」という感じです。この道のりを写真を撮りながらのんびりと歩いていこうと思います。(2021年5月15日)
石神井川が隅田川に流れ込む場所: 日曜日の朝10時ごろにこの場所に到着。ここから約25キロの「超散歩」が始まるわけです。
近くのファミマ: 上の写真の場所の近くにあります。グーグルマップで探すときはこのお店が目印になります。
身代わり地蔵: 永遠の健脚を目指したいボクとしては、是非、痛風の身代わりになっていただきたいです。
隅田川近辺は昭和の住宅街のイメージが残る場所がありますが、少し行くとこんな感じで「都市開発されたリバーサイド」な雰囲気が出てきます。あと数年たつとさらに変わっていくんでしょうね。
王子駅の近くになると、水はおそらく地下を流れているのか、川の水は極端に無くなっていました。
京浜東北線を超えると、親水公園になっています。この辺りは「音無し川」という別名が付いています。
堤防が高い!:ボクは幼少の頃、ここからそう遠くない場所に住んでいたことがありますが、昭和40年代はよく石神井川が氾濫して、友人の家など「床下浸水」「床上浸水」などを起こす家もも珍しくありませんでした。現在では、かなり高い堤防によって守られています。
埼京線を超える:この辺りは「紅葉川」なんていう粋な別名もつけられているようです。周りには公園などがチラホラとあり、憩いの場になっています。
この辺りは桜のシーズンは両岸に桜の花が咲き並び、川面は桜の花びらで桜色に染まります。いつかそんな石神井川の写真を撮りに来たいです。
板橋: 「板の橋が架けられていたから『板橋』と呼ばれた」という話を聞いた小学生時代に、「え? 板以外の橋なんてそうないでしょう。その説が本当なら、日本中の橋はほぼ『板橋』と呼ばれることになるんじゃないの」と、先生に食ってかかったボクは、その後も、ろくな大人になれませんでした。こういう話は素直に「へえ、そうなんだ」と聞いておいた方が身のためです♪
橋の両側にそれぞれ「仲宿商店街」と「板橋本町商店街」が伸びています。
板橋を超えるとすぐに中山道(国道17号線)で、それを超えるとこんな感じの、ちょっとノドカな住宅街の間を流れていきます。
まだまだ、痛風の痛みは全くありません♪
稲付川暗渠はこのあたりから:以前歩いた「稲付川暗渠」のスタート地点はこのあたり。ボクは壁面にある丸い穴が「稲付川起点」と勝手に呼んでいます。
東上線を超える:東上線沿線の池袋から東武練馬あたりは、かなり個性豊かな場所で、最近ボクが最も気になる場所の一つです。
写真はいきなり飛びましたが、上の東上線が見える場所からだと「川越街道」を超えて「環七」を超えた場所です。前方の緑は「城北中央公園」で、この辺りではかなりの面積を誇る自然公園です。
10,3キロ歩きました:こういう標識があると、どのくらい歩いたか解って楽しいです。しかし、ここから先、このような標識とは出会えませんでした。ちょっと残念。
高稲荷神社:石神井川のほとりで見つけた標識に導かれて来てみました。奥まったところにあってなかなか良い雰囲気。もちろん「永遠の健脚」を祈願しました。
豊島園跡:閉館したのはかなり残念。レトロなメリーゴーランドも良かったし、コスプレの聖地ということで、いろんなキャラがうろちょろしていて面白かったのに。
石神井川は敷地の中を流れているため、大きく迂回していくことになります。
豊島園を回り込むとこんな感じに。少し行くと「環八」を超えて石神井方面へと進むことになります。
石神井公園の南側はこんな感じ。住民のブルジョワ風味も高そうで、ちょっとハイソな空間が広がっていきます。
更に進んで「武蔵関」に近づいてくると、川幅が狭まり、川岸も工事区間が多く迂回を必要とするようば場所も増えてきます。
まだまだ痛風の予兆はしないです♪
武蔵関駅を過ぎ、踏切を渡るとこんな感じ。この辺りは昭和テイストの強い、とても良い街です♪
以前紹介しましたが、この辺りは「東京23区で一番標高が高い場所」でもあります。
武蔵関公園:ここで川は「公園内の池」と「南側の本流」とに解れます。写真は池に入る部分の水門。無骨なデザインが理系魂をくすぐります。
公園脇の川沿いの空間: 川上の方から振り返るようにして撮影したものです。秋の終わりにはたくさんの「ドングリ」が落ちていて、以前ボクはここで採集したドングリを使って「縄文風クッキー」を作ったことがあります♪
武蔵関公園を抜けると石神井川と早稲田大学の野球部のグランドの間を抜ける散歩道が伸びています。このあたりまでは痛風発作も全くなかったのですが・・・。
上の写真の野球グランド脇の道を歩いていた時に、右足の甲が痛くなっているのに気がつきました。最初は「疲労かな」と思っていたのですが・・・。
なかなか痛みが消えず、数十メートル歩くと一休み、という感じで歩き続けていました。なぜか画面も歪んでいるし・・・。
青梅街道を超えると川は住宅街を流れるのですが、この辺りになるともう足を引きずるようにして歩くしかありません。当然、そんな怪しい歩き方をしていると、近所のハイソな奥様方からは怪訝な視線を向けられるようになります。
最初は気になっていた「怪訝な視線」ですが、痛みがひどくなるともうそれどころじゃないって感じ。見つけたコンビニで氷を買い冷やしてみますが、どうも効果がないような気が・・・。
普通なら氷で冷やすと気持ちが良いんですが、今回は逆に痛みを感じる始末。「石神井川上流端」まではあと数キロのところまで来たのですが、諦めて最寄りの「田無駅」に行くことに。
しかし、その田無駅が遠い遠い! 氷を買ったコンビニから無限とも思える距離がありましたよ。ほとんど壁伝いに歩く感じで、小一時間掛かったと思います。
駅前には薬屋があったので痛み止めと湿布薬を買い、これらを服用してからしばらく喫茶店で休んでいましたが、なかなか薬も効果を見せてはくれず、痛いまま電車に乗り、自宅と鉄道とが一番近くなりそうな場所で降りてタクシーに乗って帰りました。
薬が効いてきたのはその後で、飲んでから2時間以上過ぎたあたりでなんとか足の痛みが和らいできた感じでしたねぇ。
普通は、この薬は飲んでから30分間ぐらいで効いてくるのですが、長距離を歩いたせいなのか・・・。
石神井川踏破を断念した時は、かなり残念な気分だったのですが、無事に家いて風呂に入って改めて足に湿布をしていると、逆に「変な感じの達成感」に包まれてしまったのがなんとも妙。
ま、今回は「挫折」に終わりましたが、また機会があればチャレンジしてみたいと思います♪
2021年の年末、リベンジというわけではないのですが、再度、石神井川の源流を探す散歩をしてみました。で、到達したのがここ↑ 最初は「源流=ある一点から水が噴き出している場所」と思っていたのですが(笑)・・・。
「石神井川の起点」はコンクリートで囲まれた「穴」だったのですが、この穴はどこにつながっているのでしょうか? そここそが「本当の源流」なんじゃないの!
「石神井川の起点」の先は「暗渠」(この場合もそう呼ぶのかなぁ?)になっていて、「小金井カントリー倶楽部」の脇を「嘉悦大学」に向かって伸びていきます。どうやら「本当の源流」は嘉悦大学の中にあるようです。
暗渠は嘉悦大学の敷地内へと続いているようですが、柵の中はなんとなく「湿地」になっていました。グーグルマップを観ると、嘉悦大学と小金井カントリー倶楽部との間には「木が茂った場所」があり、おそらくそこから「滲み出た水」が石神井川の「水源」になっているのでしょうかねぇ。
ま、こんな風にして「石神井川の源流」は突き止められたのでした♪
「千夜一夜物語」の翻訳でも知られるイギリスの探検家「リチャード・バートン」は、「ナイル川の源流を見つける」という大冒険を行いましたが、彼の「足元」どころから「水虫にすら」及びませんが、ボクも「東京の川の源流を探す」という遊びをしたくなってきましたねぇ!