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●耕整川(仮称)暗渠を探る


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1.石神井川に流れ込む謎の暗渠を発見

以前、「石神井川の水源を探る散歩」をしたときや、「石神井川から流れる稲付川暗渠の出口を探る散歩」をしたときに、実はこの「不思議な穴」は発見していたのです。

単なる「雨水溝」にしてはデカすぎますよね。ま、この「デカい穴」のすぐ後ろから緑地帯が伸びていますので、誰が見ても「暗渠だな」と分かるわけですが。

いつも使っている「東京時層地図」という「昔の地図を観ることができるアプリ」を使っても、この暗渠になった「川の名前」は分かりませんでしたので、すぐ脇の橋の名前が「耕整橋(こうせいはし)」だったことからこの暗渠の名前を「耕整川暗渠(仮称)」と定め、水源を探ってみることにしました。

それにしても「耕整橋」って凄い名前ですよねぇ。いったいどんな逸話があるのやら。 ご存じの方いませんか?

石神井川から直行して伸びる緑地帯。誰がどう見ても暗渠ですよね。

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2.古地図を使って水源を探索する

まっすぐに伸びる緑地帯は直に商店街に阻まれ、その後方には団地がそびえ立っていました。

最初は、古地図アプリ「東京時層地図」の「関東地震直前(約105年前)」で調べていたのですが、この地図では少し行くと川が無くなってしまっているのです。どうやらかなり早い時期に川は埋め立てられたのか暗渠化されたのでしょう。なので、ここから先は「文明開化(約145年前)」の地図を使うことにしました。

すごい、ボクは145年前を探索してるってことか!

地図を「文明開化(約145年前)」に変えて探索を続けています。左手は「要町通り」でこれを越えて暗渠は進んでいるようです。

要町通りを超えて路地を抜けていくと、「文明開化(約145年前)」の地図で、川が二股に分かれる所で、現在の道も二股に分かれていました。

まずは写真向かって左手の細い道を進むことにします。車両止めがあり曲がりくねったこの細い道は、確実に暗渠でしょう。

まさに「暗渠風味の曲がり方」です。

少し行くと、再び暗渠マークの代表格の「車止め」が現れました。いいぞ、いいぞ、この道は暗渠に間違いないぞ♪

更に行くと右に90度曲がった細い道に「黄色い車止め」が。 ここは立ち入り禁止区域だったので、正義を愛するボクとしては大回りして反対側に行ったのは言うまでもありませぬ♪

黄色い車止めの先は通りを挟んで、 更に車止めで始まる路地へとつながっていました。

ひとつ前の写真奥に横断する道路沿いにコインランドリーを発見。これもは「微妙な暗渠マーク」かも♪

更にどんどんと「暗渠っぽい路地」を進んで行きます。

※「暗渠マーク」:暗渠近くには銭湯・洗濯屋さん・工場など「大量の水を排出する施設」が自然と集まるため、これらの施設があると「あ、ここは暗渠だ」と推測できるのです。

路地は「千川通り」にぶつかりました。 千川通りは「千川上水」を暗渠化した道で、「東京時層地図」の「145年前の地図」でもちゃんと川として表示されています。 「高度成長前夜(約65年前)」の地図までは、道沿いに川が表示されていましたので、 そのあたりまでは「開渠(つまり普通の川)」として残っていたのでしょう。

ということで、「耕整川(仮称)は千川上水からの支流だった」とし、千川上水を水源と特定いたしました!

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3.更に別の水源も探ってみようと思う

とりあえず上記写真の場所まで戻り、今度は写真向かって右側の暗渠を探索したいと思います。

少し行くと工場の脇の路地へとつながります。「工場脇の路地」というのも、暗渠マークの一つっぽいですよね。

この段差も暗渠マークでしょう。

昇ったり降ったりしながら曲がりくねった道が続きます。

「小竹通り」に出たところでまたしても「145年前の地図」では川が二手に分かれていて、道もそれぞれの方向に延びていきます。

まずは写真向かって左側の「郵便ポスト」の脇の路地を行くことにしました。

郵便ポストの脇の路地の奥には緑地っぽい場所が見え、 地図上でもその辺りで川は終わっていました。

この公園が耕整川(仮称)の水源の一つであるとしました♪

再び先ほどの場所に戻り、 今度は写真正面に延びる蛇行した道を進むことにします。

直に細い路地へと変わり、暗渠っぽさが出てきましたねぇ。

この車輪は特に「暗渠マーク」ではないでしょうけど、 なんとなく「昔この辺りには川が流れていて、ここには水車小屋があったんだよ」って取れなくもないです♪

出たぁ! 最大の暗渠マークである「銭湯」! 

ここは「浅間湯」という銭湯でした。145年前の地図だとまさにここが「川の水源」のようなのです。まさか風呂の水が川になって流れていた?

すぐ近くに「斎場」がありました。斎場って暗渠マークなのかな?  確かに「斎場は川の近くにありそう」な気はします。

斎場の隣が「浅間神社」。「銭湯が川の水源」というのも話としては面白いのですが、やはり「水が湧き出る池があって、その場所を祀ることで、そこが後に神社になった」と考えた方がそれっぽいですよね♪

現在の神社の場所は145年前の地図に記載された「川の始まり」とは少し離れているのですが、ま、その辺は誤差と考え、この「浅間神社」こそが「耕整川(仮称)」の水源の一つであるとします♪

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4.これ以外にもいくつもの支流があるようです

こんな感じで、石神井川に流れ込んでいた「耕整川(仮称)」の水源を3つ発見(w)しましたが、下の地図に赤いマークで記載したように、実は「耕整川(仮称)」にはいくつもの支流が流れ込んでいるようです。

東京の城北地区は武蔵野台地の東端による複雑な地形構造になっているためか、この辺りの暗渠はかなり複雑そうで、楽しいったらありゃしないですねぇ♪

てなわけで、またいつか「耕整川(仮称)」の別の水源も探索してみたいと思います!